女性はもう一度ニヤリと口角を上げると、その口内で丸めた舌を、タンっ、と弾いた。まるで銃声のような、乾いて澄んだ音が響く。直後、尖ったボルドーの爪先が、のけぞり震える金髪の首筋を、掻っ切るようにゆっくりと撫ぜていく。
「あっという間に地獄行き、だよ」
◆
腰を抜かしたままの金髪が、足をもつれさせながらもなんとか逃げ去った後、助けてもらった感謝を伝えた明美は、女性になぜここにいるのかと聞かれた。見ず知らずの人に話してもいい事情なのだろうかと躊躇し言葉を濁した明美に、女性は眉根を寄せて、鼻で笑うようなため息をついた。
「アタシはまた、厄介ごとに首を突っ込んじまったのかねぇ」
目の下に傷のある男性が「今、アイツらの元締めに出てこられると面倒なんで、戻りましょう」とちらりと明美を見ると、そうだねぇ、と女性は続けた。
「アイツらの店の元締めは…お嬢ちゃんにも理解できるように言うなら、いわゆる反社ってやつで、ここ最近、だいぶ悪さが目立ってきてたからさ。今日は話をつけにここに来たんだけど…お嬢ちゃんを巻き込むわけにいかないからね」
そうして明美は、女性が経営しているという『Sneet』というBARに、店を開けなきゃいけない時間だからと、半ば強引に連れてこられた。女性は光江と名乗り、男性はミチだと紹介され、2人が店主と従業員という関係であることも知った。
ミチは到着と共にカウンターに入って開店準備を始め、明美は、10人は座れそうなソファーのある個室に連れられ、光江と向き合って座ることになった。
「…ここは、どんなお店なんですか?」
明美の質問に、光江がハッっと吐き出すように笑った。
「少なくとも反社の店じゃないから安心しな」
それでも明美の緊張は抜けなかった。店の奥にあったこの個室にたどり着くまでに歩いてきたフロアは、天井の高い吹き抜けで、明美がもし一人なら臆して入れないほど洗練されてはいたけれど、ただのお洒落なBAR…には見えた。
けれど、この個室に入る時、光江の指紋認証で開いた扉が、閉まると共に、ピーッと施錠された電子音がした。つまり明美は今、この部屋に閉じ込められている。
先ほどミチが温かいお茶を運んできたものの、今は2人きりで、フロアでは流れていた音楽が少しも流れてこないということは防音壁なのだろう。そんな完璧な密室で、光江から放たれるオーラを浴びながら、先ほどホストたちを瞬殺した迫力を改めて思い出すと、堅気ではない稼業の気配を感じて警戒してしまう。
「アタシを警戒するのは正しいよ。でもその警戒心は、もっと早く使うべきだったね。アンタみたいなお嬢ちゃんが、無防備に出かけてく場所じゃないんだよ、あのあたりは」
お嬢ちゃんと言われる年でもないのだと反論するのは無意味だと感じて、明美は改めて救われたことへのお礼を伝えてから続けた。
「…でも、私はどうしても、もう一度あのビルに行って、会わなければならない人がいるんです」
「あのビルに?誰か知り合いでも?」
「4階にあった…その、キャバクラに…」
娘が…と言いかけて言葉に詰まった。未成年のルビーが違法で働くことを選んだのは自分のせいだ。あんなに危険な場所に娘を送り込んでしまった情けなさすぎる母親。いや、母親と名乗る資格すらない。
そんな明美を射貫くように、ギロリ、と光江の目が光った。
「顔を上げて、ちゃんと説明しな」
おそるおそる顔を上げた。怖いけれど目が離せない。というよりも離すことを許されないように光江の瞳に捉えられ、耳が痛くなるほどの静寂。その中で、明美は自分の心臓の音だけが部屋中に響き渡っている気がした。
ふっと、光江の口元が緩み、ほんの少しだけ目尻が下がった。そして。
「出会っちゃったんだから、仕方がないね」
「…え?」
「アンタの人生に踏み込んだ責任を取るよ。そのキャバクラを、あのビルごとね」







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