SPECIAL TALK Vol.120

~日本の農業が続くための仕組みを作り、アップデートできるよう挑み続ける~


植木の名産地に5代目として生まれる


金丸:早速ですが、お生まれはどちらですか?

浅井:三重県津市です。実家は県庁所在地の津駅から、わずか10分の場所にあります。

金丸:では、それなりに都会なんですね。

浅井:それがまったく。うちは農業振興地域・農用地区域、いわゆる農振農用地のなかにあるので。

金丸:そこで農業をやれば優遇措置はあるけれど、農地以外に転用するハードルが高くて、開発が進まないと言われているところです。

浅井:農業を辞めた人たちはどんどん流出しますが、流入はまったくない。だからアクセスはいいのに、私の子どもたちが通っている小学校は、児童数が49人しかいません。

金丸:そんなに少ないんですか!?浅井さんは農家のお生まれですか?

浅井:はい、農家の5代目です。明治40年に始めたそうで、もうすぐ創業120年、法人化したのは祖父の代の1975年なので、間もなく50年ですね。

金丸:すごく歴史がありますね。浅井さんの家は、もともと何を作られていたのですか?

浅井:植木です。サツキとツツジの生産と卸を、父の代まで100年間、ずっと真面目にやってきました。

金丸:津市はもともと植木の生産が盛んな土地なんですか?

浅井:そうですね。黒ボク土というすごくいい土質なので、あたりは植木農家ばかりでした。

金丸:土はとても重要ですよね。土の中の栄養分が豊富ならそれだけで有利になりますから。

浅井:土はほんとに生産基盤だと思います。実は植木栽培が広まったのは、私の祖父がアメリカに挿し木の技術を学びに行き、その技術を周りの生産者の方に教えたり、仲間を集めて専門農協を作ったりしたことも関係していて。祖父は、農協の組合長もやるような活動的な人でした。

金丸:それはご立派ですね。

浅井:ただ、ピーク時に400人くらいいた生産者が、いまや4、5軒にまで減っています。

金丸:それだけ需要が減ったということですか?

浅井:公共工事やゴルフ場が主な取引先だったんですが、景気に左右される部分が大きくて。

金丸:たしかに、植木はゴルフ場でよく見ますね。あとは公園や道路の中央分離帯とか。

浅井:バブル絶頂の頃、私は小学生でしたが、社員さんもとっくに帰った夜の10時、11時くらいにうちに10トントラックがやって来るんです。

金丸:えっ、出荷ですか?

浅井:そうです。私と弟で親父を手伝って、10万本のサツキを2〜3時間かけてトラックに積み込む。

金丸:10万本!?景気のいい話ですけど、夜中ですよね。

浅井:だから「この仕事だけは継ぎたくない」って思いながら手伝ってました(笑)。

金丸:そりゃそうだ(笑)。浅井さんは子どもの頃、スポーツはされていましたか?

浅井:中学はサッカー部、高校は陸上部でした。あと小さい頃から冬はずっとスキーに。庭師をやっていた親戚のおじさんが登山とスキーが好きで、連れて行ってもらううちに私ものめり込んでしまい。三重県代表でインターハイに出場したこともあります。

金丸:それはすごい。体を動かすことや自然が好きだったんですね。

浅井:そうですね。自然とか植物とか山とか、そういうのが好きなタイプでした。

金丸:津市には、山も海もありますからね。

浅井:私はどちらかというと、山のほうが好きですね。反対に、一緒に仕事をしている弟は、海が大好きなサーファーです。

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