SPECIAL TALK Vol.116

~多くの人の期待と希望を背負う街づくりほど、面白い仕事はない。~


建物だけでなく、街づくりに興味があった


金丸:早速ですが、お生まれはどちらですか?

辻:広島です。私の父は海上自衛官で、父が江田島に勤務している時に私が生まれました。

金丸:自衛官ということは、あちこちに転勤があるのでは?

辻:2年ごとに転勤していましたね。江田島、舞鶴、佐世保、横須賀とすべて港町です。江田島には何度も。

金丸:辻さんもお父様についていき、2年ごとに転校されたのですか?

辻:はい。だから小学校だけで3、4回は転校しました。

金丸:私も子どもの頃に大阪から鹿児島に引っ越した経験があります。最初のうちは、周りが何をしゃべっているのか全然分かりませんでした。

辻:私も同じ経験をしました。たとえば佐世保は当時、方言がものすごく強かったですね。それでも私は順応性が高かったようで、行く先々で結構早くに慣れて。私は姉とふたりきょうだいですが、姉のほうが苦労していました。

金丸:だけど、せっかく仲良くなっても、2年後にはお別れが来るのが分かっている。大変な境遇ですね。

辻:一番困ったのは受験です。私が小学6年生、姉が中学3年生の時に江田島から横須賀に引っ越しました。それが最後の転勤でしたが、私たちはそれぞれ広島の中学、高校に通うつもりだったけど、神奈川に来たら環境が全然違う。

金丸:それまでは、のびのびと過ごしていらしたんですか?

辻:そうですね。比較的田舎が多かったので、自然の中を走り回ったり、自転車で遠くまで遊びにいったり。海に行って魚を釣ったりすることもありました。

金丸:偏見ですが、森ビルの社長ともなると、生まれも育ちも東京の都会っ子だと。一気に親近感が湧きました(笑)。

辻:江田島なんてすごかったですよ。朝、家の前の海に行って砂浜をかくと、アサリがいっぱい採れる。それが朝食のみそ汁になるんです(笑)。

金丸:それはものすごく贅沢な生活でしたね(笑)。

辻:本当に。しかも父は旅行が大好きで、勤務地を拠点にあちこち連れていってくれました。広島にいる時は中国地方を回り、佐世保にいる時は福岡から鹿児島まで、九州を車で旅行して。おかげで西の方はだいたい行きました。

金丸:楽しそうでうらやましいです。

辻:加えて、父は美味しいものも大好きで、各地で美味しいお鮨とかを食べさせてくれました。思い返してみると、日本のあちこちで暮らしたことが大きな財産になっています。

金丸:高校卒業後は、横浜国立大学に進学されています。大学では何を専攻されたんですか?

辻:学部では建築を専攻し、大学院では都市計画の研究室に所属していました。建築の基礎的なことをやっていて、建物を外から見るのも中に入って見るのも好きでした。話題の建物がオープンすると、よく見にいってましたよ。

金丸:学生の頃から一貫して、建物や都市計画に興味があったんですね。辻さんが森ビルに入社されたのはいつですか?

辻:1985年です。アークヒルズのオープンが86年ですから、建物だけはできていて、ちょうど内装をやっていた時期ですね。

金丸:アークヒルズも規模が大きいですよね。

辻:敷地が5.6ヘクタールですから、当時は国内最大規模だし、民間企業がそんな規模の再開発を手掛けるというのも初めてでした。

入社の決め手はアークヒルズだった


金丸:辻さんが入社した頃の森ビルって、どのくらいの規模でしたか?従業員は1,000人くらい?

辻:とんでもない!いまでも1,600人くらいですよ。そもそもデベロッパーの世界って、事業規模に比べると本体の従業員はすごく少ないんです。

金丸:そうか。自社以外の多くの企業と組んで、事業を進めていきますからね。森ビルに入社した決め手はなんだったのでしょう?

辻:アークヒルズを実際に見たのが大きかったですね。当時は神奈川にいたので、「森ビル」の名前を聞いてもピンと来なくて。森ビルは東京以外ではほとんど知られていなかったし、東京でもそこまで知名度がなかったように思います。

金丸:その頃の森ビルといえば、ナンバービル(森ビルが手掛けた、数字が冠されたオフィスビル)が象徴的だったのではないかと。ちなみに、就職先として他に候補はなかったんですか?

辻:周りはゼネコンに行く人が一番多くて、学校推薦もありました。だけど、ゼネコンと設計事務所は施主の言うことを聞かなきゃいけないじゃないですか。

金丸:辻さんは自分が作りたいものを作りたかった?

辻:そうです。それに建物単体ではなく、都市計画の面白さに惹かれていました。都市計画行政という意味では、国家公務員や地方公務員がありますよね。民間ならコンサルタントや設計事務所。ただ、いま挙げた方たちって、自分たちではものを作らないですよね。

金丸:たしかに。都市計画もして建物も造るとなると限られる。辻さんの思いにピッタリだったのが、森ビルだったんですね。ところで入社された頃、「将来、この会社の社長になるかも」と思われました?

辻:まったく(笑)。そもそも、元はオーナー企業ですから。

金丸:森家以外の社長は、辻さんが初めてですよね。

辻:そうです。といっても、会社としては前身の森不動産から数えて70年くらいで、創業した森 泰吉郎、2代目の森 稔、3代目が私です。

金丸:入社された頃は、まだ森 泰吉郎さんがいらっしゃって。

辻:はい。ただその頃は、稔さんが設計など、いろいろなことを担っていらっしゃいましたね。それに実際に入社してみると、思い描いていたのとずいぶん違っていました。

金丸:そうなんですか?

辻:アークヒルズを見て入社を決めたわけですから、どうしても華やかな、楽しいイメージがあるわけです。その後、都市計画をどのようにしてかたちにしていくのかを、身をもって知ることに。

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