SPECIAL TALK Vol.112

~庭師として素晴らしい日本文化を守り、次の世代へと伝えていきたい~


「日本人として生きる」。帰化を決意して改名


金丸:ところで、帰化されたのは何歳のときですか?

村雨:加藤造園にお世話になっていた26歳のときです。

金丸:では、来日して10年も経たないうちに。

村雨:なんとなくですが、日本に興味を持ち出した頃から、「日本に住んで帰化することもあるだろうな」と思っていたので。

金丸:それほどまでに、日本に興味を引かれたんですね。

村雨:日本のことを何も知らないに等しかったので、さすがに周りには言い出せませんでしたけど(笑)。「これからは日本人として生きる」という覚悟ができたからこそ、帰化することにしました。

金丸:それにしても「村雨辰剛」というお名前、めちゃくちゃ格好いいです。

村雨:ありがとうございます。

金丸:名前は帰化されたときに自分で決めたんですか?

村雨:いえ、自分で自分につけるというのは、ちょっとピンとこなくて。昔の武士だと、殿様から名前を一字もらって名前を改めることがありますよね。だから、そういう形式がいいな、と。

金丸:さすが歴史好き(笑)。

村雨:それで、親方に「僕に名前をつけてください」とお願いしました。親方は師匠であり、日本で一番家族に近い存在だったので。最初は「責任が重い」と断られましたが(笑)。

金丸:でも、つけてくださったんですね。

村雨:僕は辰年生まれなので、「辰」の字を入れて、親方の名前から「剛」の一字をいただいて、辰剛になりました。

金丸:素敵ですね。名字の村雨の由来は?

村雨:大師匠というか、親方のお父さんが村雨退二郎という作家が好きで、「村雨でどうだ」と。

金丸:案外、ミーハーなところからなんですね(笑)。

村雨:いろいろ調べてみると、古典には松風と村雨という姉妹が出てくるし、日本になじみの深い名前なので、正直「そんなに格好つけていいのかな」とも感じました(笑)。

金丸:でも、つけてもらった名前ですからね。

村雨:そうです。親方には「格好いい名前に負けないような人生を送って」と言われています(笑)。

金丸:村雨さんは親方のもとで5年働いたあと、独立されたんですか?

村雨:完全に独立したわけではなく、別のところで修業を。西尾市は古くからの城下町で、武家屋敷やお寺が多いところです。おかげで、いろいろな庭を見ることができたし、手入れについて学ぶことができました。ただ、ゼロから庭を造る経験があまりなくて。

金丸:なるほど。庭師としてさらに経験を積みたかった。

村雨:はい。それで親方と相談して、関東の造園屋に移ったんです。そちらでしばらく働き、正式に独立したのが2年前くらいですね。

金丸:これまで10年以上庭師として働いてこられて、海外からお仕事の依頼もあったのではないですか?

村雨:ご依頼はいただいたのですが、僕はまだその域ではないと感じて。いまは日本で日本庭園を造ることに集中するべきだと考えています。

金丸:それは正しい判断かもしれません。村雨さんが日本で造った庭を見て、これはと感じた方から依頼を受けた方が、きっといいものができると思います。それに海外だと、「なんだこれ」って笑ってしまうような「なんちゃって日本庭園」もあるじゃないですか。

村雨:そうですね。海外の日本庭園では、なぜか鳥居をよく見かけます。それっぽさを演出するのに便利だからだと思うのですが。

金丸:そういう日本庭園が幅を利かせるのは、ちょっと残念に思いますよね。オラクルの創業者であるラリー・エリソンは、日本庭園が大好きなんです。彼はシリコンバレーの家に「桂離宮を造る」と意気込んで、京都の庭師を大勢シリコンバレーに呼びました。おかげで一時期、京都で庭師を手配するのが大変だったと聞きました。

村雨:それくらい本物志向の方がいらっしゃるのは、ありがたいことです。ただ、職人が現地にいないと、管理が難しいですが。

金丸:彼は大金持ちなので、飛行機代を出して庭師を呼んでいるはずです(笑)。

村雨:さすが。そこまでされているなら完璧ですね(笑)。

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