披露宴の受付
式場を出た僕は、誰よりも早く披露宴会場へと向かった。
相変わらず重たい体と混乱する頭を引きずって、芳名帳の前に立つ。新郎からの希望で、披露宴の受付を頼まれているのだ。
あまりに招待客が多いため、新郎側・新婦側を気にせずとにかく受付に立ってほしいというリクエスト。新婦は相当な名家だと聞いていたけれど、その噂はどうやら事実のようだ。
“皇帝”の名を冠した由緒正しいホテルで、一番大きな披露宴会場。
結局、担当することになった目の前の新婦側の芳名帳には、政財界や医学会の大物の名前が次々と書き込まれていく。
「この度はおめでとうございます」
「ありがとうございます」
祝福の言葉を、代理として受け続ける。
思ったよりも痛みが軽いのは、もしかしたら、チー子の幻を見たせいなのだろうか?
― しかし思い返してみると、僕って、チー子に本当に酷いことしてたよな。
女の子を酷い目に遭わせていた自分が、女性から酷い目に遭わされるのは当然のことなのかもしれない。
因果応報。
ぼんやりとそんなことを考えていると、ふと、透き通った声が聞こえた。
「あの…書いてもいいですか?」
「あっ、はい」
慌てて現実に戻ってくると、伏し目にしていた僕の目に飛び込んできたのは、あの頃のチー子…先ほどのフラワーガールだ。不安げな表情で、母親と思しき女性のドレスの裾を掴んでいる。
僕は、ゆっくりと視線を上げて、その女性をさりげなく観察する。
女性の胸元に飾られた、淡い光を放ちながら連なるパールのネックレス。
まるで、ラクダみたいに長いまつ毛。
砂糖細工のように白く繊細な指先。
その指先が芳名帳に書き込んだ名前を見て、僕は思わず息をのんだ。
『高山千紗子』。
ちさこ。
…チー子だ。
間違いない。チー子だ。まさか、こんな所で繋がるなんて。
すっかり成長した35歳のチー子は、あの頃と変わらない長いまつ毛に縁取られた瞳を細めながら、ご祝儀袋を僕に向かって差し出した。
「この度はおめでとうございます」
どうやら、僕が「ゆうくん」であることには気がついていないらしい。ご祝儀袋に手をかけたまま動けないでいる僕を、不思議そうに見つめている。
「あっ、ありがとうございます。えーと、こちらが席次表でございます」
席次表を手渡すと、チー子はもう一度微笑みを浮かべた。
その途端、僕の胸には、さまざまな感情が溢れ出してくるのだった。
元気?
僕のこと、覚えてる?
あれからどうしてたの?
幸せにしてるの?
かけたい言葉が一気に押し寄せて、頭の中が渋滞している。
けれどその中でも、一番チー子に言いたいのは、この一言だった。
「あの…」
― あの頃は、本当にごめん。
あの時言えなかった「ごめん」の一言を伝えることで、くだらないかもしれないけれど…。
今の地獄みたいな状況が、因果が、断ち切れるような気がしたのだ。
「あの、僕…」
けれど、その時だった。
「おーい、千紗子。ひなこ」
背後から、人の良さそうな男性がチー子に駆け寄ってくる。その男性に、「ひなこ」と呼ばれたチー子そっくりの女の子が飛びついて、言った。
「パパァっ」
「千紗子、どうかした?大丈夫?」
飛びついてきた娘を足元にじゃれつかせながら、男性が心配そうにチー子に尋ねる。
「ううん、大丈夫よ。パパ、ひなちゃん、お席に行こうか。じゃあ…失礼いたします」
そう言うとチー子は、家族3人手を取り合ってあっけなく僕の前から立ち去ってしまった。
遠ざかっていくチー子たち家族の後ろ姿を、なすすべもなく見送る。
そんな僕の胸の中に湧き起こってきたのは、憎しみでも悲しみでも、後悔でもない、憧憬のような気持ちだった。
絵に描いたような、幸福な家族。美しく微笑む、チー子の姿。
― 結婚って、やっぱりいいものなのかもしれないな。
シンプルにそう思えたのは、いつぶりだろう。けれど、初恋の女の子の幸福を目にした僕は、久しぶりにそう感じられたのだ。
ほの香とチー子は、全く関係ない。僕が今さらチー子に謝ったところで、何が変わるわけでもない。
けれど、人の幸福まで憎らしく感じられるようになったら、本当に終わりだ。
チー子たちの姿には、なぜだか不思議と素直にそう思わせる力があったのだ。
体が軽い。
後ろ姿は、ぐんぐんと遠ざかっていく。最後にもう一度だけ、チー子の長いまつ毛が見たかった。
披露宴会場に入ろうとするチー子の横顔を、受付から必死で目で追う。
母親になったチー子の美しいまつ毛が幸福そうに瞬いたのが、遠くからでもどうにか見ることができた。
その耳たぶが、さっきまで力一杯つままれていたように真っ赤になっていることには…。
気づくことが、できなかったけれど。
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新郎新婦入場:幸福な母親に見えるチー子こと、千紗子。彼女の隠した悲しみとは
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この記事へのコメント
今までの金曜日はクズ女ばかりが主人公だったけど、今度は男性だから面白くなるといいなぁ。