チャペルの重たい扉が開かれると、そこに立っていたのは新婦でも新郎でもなく、小さなフラワーガールだった。
タンポポの綿毛みたいなふわふわのドレスを身にまとった、可憐な少女。年齢は、6、7歳といったところだろうか。
小さな体を子ウサギのように弾ませて、色とりどりの花びらを撒き、バージンロードを切り開いていく。
思いがけない可愛らしい主役の登場に式場じゅうが微笑ましく沸く中、僕だけが全く種類の違う驚きを感じていた。
「チー子…?」
思わず言葉が口をついて出た後、僕は、慌てて小さく首を振る。
チー子、なわけがない。彼女は僕と同い年。今は35歳になっているはずだ。
けれど今、僕の目の前を誇らしげに歩くフラワーガールは、どこからどう見てもあの頃のチー子にしか見えない。
僕は、フラワーガールの後をしずしずと歩く新婦の姿そっちのけで、当時のチー子のことを思い返した。
◆
28年前。
商社マンだった親父の駐在で、僕は小学校時代をシンガポールの日本人学校で過ごしていた。
そこでクラスメイトだったのが、チー子だ。
たしかチー子も、宝飾店かなにかを営む両親の海外進出でシンガポールに来ていたのだったと思う。今となっては、チー子の本名すら思い出せない。
だけどとにかく、僕はチー子が好きだった。
わたあめみたいに柔らかな栗色の髪、砂糖菓子みたいに白い指先、まばたきの度にそよ風でも起こしそうに長いまつ毛…。
その全てが胸にくすぐったくて、僕は、いつだって教室ではチー子を見ていた。
当時はそんな自覚はなかったけれど、思えばあれは、僕の初恋だったんだと思う。
だけど、小学生男子の愛情表現なんて、バカで粗野以外の何ものでもない。
「チー子のまつ毛、ラクダみたいだな!お前、ほんとはラクダなんじゃねーの?ラクダ女!」
チー子の関心を引きたいけれどやり方がわからなかった僕は、そんなふうにくだらないセリフで彼女をからかうことしかできなかったのだ。
「ゆうくん、どうしてそんなこと言うのっ」
おとなしくて優しいチー子だったけれど、他の女子みたいに簡単に泣いたりしないところも気に入っていた。
じっと黙り込んだまま、自分の耳たぶをぎゅっとつまむ。
涙を流して泣く代わりに、チー子はどうしてだか、自分の耳たぶを指先でつまむのだ。きっと、悲しさや悔しさを、ああいう形で堪えていたのだと思う。
チー子が日本に帰ってしまうと聞いた僕は、最後の日、いつもよりも酷く彼女をからかった。
その日、つまみすぎて真っ赤になったチー子の耳たぶを見て、さすがに心が痛んだ。
謝ろうと思って放課後に彼女の家に行ったけれど、もう家には誰もいなくて…。
それが、チー子にまつわる最後の思い出だった。
◆
20数年ぶりに思い出したチー子のことだったけれど、とにかく、その思い出の中の当時のチー子そのままの少女が、たった今、目の前バージンロードを横切っていったのだ。
気がつけば式はすっかり進行していて、新郎新婦が互いに見つめ合いながら永遠の愛を誓いあっている。
フラワーガールの姿は、どこに消えたのか。背丈の低い少女の姿を見つけられないまま、式は終わろうとしていた。
僕は、心ここにあらずで、新郎新婦の姿を拍手で見送る。
― ほの香のことがショックすぎて、ついに幻覚まで見え始めたか?
あまりに傷ついた心を修復するために、自らの防衛本能が初恋の幻を見せたのかもしれない。
自虐的に笑いながら、そう自分を無理矢理に納得させる。
けれど、式場を後にした僕は、そのあとすぐに真実を知ることになるのだった。
この記事へのコメント
今までの金曜日はクズ女ばかりが主人公だったけど、今度は男性だから面白くなるといいなぁ。