2022.01.09
東京レストラン・ストーリー Vol.1◆
婚約者の雄太郎は、曾祖父が大手食品メーカーの創業者で、その直系の長男だ。
大学卒業後は大手商社で数年“修行”したあと、その食品会社に入社した。いまは父親が社長をやっているが、ゆくゆくは彼が跡を継ぐのだろう。
実家は品川の御殿山にあり、都内にマンションを数か所保有。小さい頃から海外旅行をして遊び場はもっぱら東京アメリカン倶楽部だった、という話を聞いたとき、北海道の田舎で生まれ育った自分とは生きてきた世界が違う、とにわかに不安になった。
でも彼のバッグボーンではなく、碧は雄太郎という人間そのものに強く惹かれたのだ。
出会いは2年ほど前。初めて会ったとき、彼の穏やかな物腰と、思いきり目尻が下がる優しい笑顔に一瞬にして引き込まれた。
碧は当時、西麻布や六本木での遊びに忙しい典型的な港区女子。でも雄太郎と出会ったその日からガラリと変わった。夜遊びをパタリとやめて、彼との時間を優先させるようになった。
特に付き合いたてのころは、ひとときも離れがたかった。
新型コロナウイルスがはやりだした時期ということもあるが、今思い出しても恥ずかしいくらいにべったり一緒にいた。いくら肌を重ねても足りないし、いくら話しても話し足りない。
お互いを運命の人だと信じ、たとえ生きてきた世界が違っても私たちなら大丈夫、と柄にもなく思っていた。
だけど、結婚が現実味を帯びてきた今。その覚悟が揺らぎ始めている。
今日喧嘩したのは、新居がなかなか決まらないことが発端だった。
新居の費用諸々はすべて彼の実家から援助される。するとそれと一緒に、引っ越し先はもちろんのこと、引っ越し日程まで彼の母親が口を挟んできたのだ。
それだけではない。子どもができれば幼稚舎へのお受験、そして合格は絶対だ。そのため子どもを産んだら仕事を辞めてほしいとも言われている。
せめて子どもが産まれるまでは2人の生活を自由に楽しみたい、そう思っていた碧は閉口した。
― 誰かに自分の未来を決められる。
北海道から上京して自らの道を切り拓いてきたタイプの碧にとって、それは決して心地のよいものではなかった。
そしていままでできるだけ碧の意見を尊重してくれていたはずの彼が、今日ついにこう言ってきたのだ。
「碧。この物件だと子ども部屋が狭いって母親が言ってきてさ…」
「ここもダメなの…?もうお金は自分たちで出して、好きなところに住もうよ」
「そういう問題じゃないんだ。ごめん、わかってくれ。うちは普通の家じゃない」
何があっても、彼についていく。そんな熱い想いで彼と結ばれたのに、厳しい現実を前に、その思いが初めて萎んだ瞬間だった。
― 雄太郎と結婚して、私、本当にいいの…?
悩んでいたときに偶然目にした、『CHIANTI』。運命的な何かを感じた碧は、気づくと扉を開けていた。
ほんの一瞬でもいいから、何も悩みのなかったあの日に帰りたかったのかもしれない。
何も持っていないけれど、自由だった日々に。
◆
店を覗くと、時間が遅かったせいか人はまばらだった。
1人で入るのをためらっていると、マスターが声をかけて席に案内してくれた。
初めて店に来たのは24歳の頃、当時付き合っていた二回りほど年の離れていた彼に連れてこられたのだ。
碧は『CHIANTI』のことを全く知らなかったのに、初めて足を踏み入れたとき、とても不思議な感覚を抱いたことを覚えている。
特別な世界に一歩足を踏み入れた、そう思ったのだ。そしてその感覚は当たっていた。
彼は有名アーティストに楽曲を提供する、いわゆる業界の重鎮。碧はその後『CHIANTI』で彼にいろんな人を紹介してもらい、東京での生活は一気に華やかになった。そこからの人脈で仕事が決まったこともある。
― やっぱり、東京は夢を叶えてくれる街なんだわ。
彼と、彼の経験を通して、碧はこの店で煌びやかな世界を覗いたのだった。
キャンティのメニューなどもしっかり下調べされてるし。
これからも楽しみです。
これからが楽しみ。
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