1997年4月
初めての渋谷で出会ったその男の子は“恭一くん”という、同い年の子だった。
一見クールな感じ。でも話すと気さくで、親切にもパンテオンまで私を案内してくれた。パンテオン、それは駅前の映画館だったのだ。
私は彼みたいなストリート系より、いしだ壱成みたいなフェミ系の方が好みだったけど、とにかく都会の人と繋がりを持ちたかったから、住所を交換して文通することにした。
…だけど1往復しただけで、返信は途絶えてしまった。
― まあ、仕方ないよね。1回会っただけだし。
そして、それから3年が経った。
『恭一くん、久しぶり。お元気ですか?』
そんな書き出しとともに、手紙を再び出す気になったのは、銀行勤めの親の転勤があったからだ。
引っ越し先は、神奈川の相鉄線の奥にある郊外。渋谷まで1時間かかるけど、同じ関東地方には違いない。
『家が近くなるので、また会えたら嬉しいな♪』
持ち始めたPHSの番号の横に、何気なく本気の言葉を添えたものの、やはり連絡はなかった。
そして私は、家の近くの高校に転入。学校にも慣れてきた頃、クラスのある女子が毎日のように放課後、渋谷に行って遊んでいるという揶揄を耳に挟んだ。
その子は佳子といった。
あか抜けている子だったけど、進学校だったその高校での学力は下の方で、ちょっと浮いた存在のようだ。
「ねえ、佳子。今度一緒に渋谷へ連れて行ってよ」
いつも1人、教室の隅で鏡を見ている彼女には、話しかける隙がありすぎた。
「別に、いいけど…」
さらに心にも隙があったみたいで、仲良くなるのに時間はかからなかった。
学校が終わった後、乗換駅のトイレで私たちは変身する。
スカートを折ってメイクをし、プチサンボンを振る。そして指定の白い靴下から、ルーズソックスに履き替えるのだ。
センター街にいる佳子の仲間は、カルチャー系寄りの私にとって、趣味も性格もまったく違った。
だけど、構わずにすぐ受け入れてくれたのだ。
集まって何をするわけでもない。プリントシール撮って、カラオケで安室ちゃんを歌い、どうでもいい話をする。渋センマックも、気負わず入ることができるようになった。
大騒ぎしていると、ふと気づく。
― 私って今、渋谷の人かも!
ちょっと背伸びはしていたけれど、私の居場所がそこにあった。
◆
「ねぇ、キョウがNYから帰ってくるらしいよ」
「マジ!?超やばくね」
その情報を仲間から聞いたのは、私がセンター街の女子高生になって2ヶ月ほど経った頃だった。
“キョウ”というのは、どうやらこの辺のボス的存在らしい。生まれも育ちも渋谷で、和光学園に通いながら度々留学という名目で日本と海外を行き来している、スーパー男子高生だそうだ。
― ん?もしや…。
予感は的中した。
“キョウ”とは、私が3年前に出会った、あの恭一くんだったのだ。
実を言うと私の渋谷通いは「彼にもう一度会いたい」という理由もあった。
それから数日後。颯爽と仲間を引き連れ、マックに現れた彼。あの頃と同じ黒いニット帽に、A BATHING APEのネルシャツが妙にサマになっている。
「私、梨奈だよ。中学のとき会って、そのあと文通したよね♪」
紹介されるなり、得意げに私はそのことを口に出す。彼もきっと、思い出してくれると思っていた。
「…は?誰?」
私は凍った。
背を向けて、すぐ仲間と談笑しだした彼。絶対、あのレコードの男の子のはずなのに。
それからは、彼に対しても仲間に対しても気まずくて、センター街どころか渋谷に足を向けることはなくなった。
受験、という二文字を理由に…。
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