ネイビーな妻たち Vol.1

ネイビーな妻たち:「幼稚舎か青山!?」神宮前2丁目在住・年収2,000万の夫を持つお受験ママの憂鬱

ー女優?

冗談にしか取れない先生の言葉。しかし、周りを見ると、皆、神妙な面持ちでうん、うんと頷いている。

「つまり、お子さまの前では女優になりきって下さい。学校から求められるのは、自校の教育方針に共感し、子供に溢れるほどの愛情を注ぎ、清楚で、堅実で知的な母親です。そういう母親を演じていただきたいんです」

ー清楚で堅実って…。時代錯誤じゃないの?

思わず鼻で笑いそうになる京子。

「例えば、お食事はUber Eatsや外食はやめて、なるべく手作りを。お掃除もハウスクリーニングをお願いしている方もいると思いますが、お子さまと一緒にお掃除やお片づけをしてみて下さい」

お受験と外食や掃除ってどう関係があるのかしら、と呆気に取られる京子。東山先生の言葉はまだまだ続く。

「四季折々の出来事や変化を大切に。年末はご家族でハワイはやめて、自宅で手作りのおせち料理をいただき、お子さまとカルタや羽根つきを楽しんでください」

大変なところに来てしまった、と京子は思った。

しかし、東山先生の話術と洗練された物腰、グイグイと引っ張る指導力に感心もしていた。

「10年ほど前、私もお受験を経験しまして。うちの子は今、塾高に通っています」

つまり、東山先生はかつての幼稚舎生の母、ということだ。なるほど威風堂々たる「名門私立生の母の威厳」を醸している。

「今日から皆さんには、そういう母親を演じていただきたい。お受験の主役は、お子さまではなくお母さまです」

はじめは疑心暗鬼だった京子だったが、東山先生の物言いにすっかりハマってしまい、この先生についていけば『幼稚舎合格』も夢ではないのかもしれないと思い始めた。その一方で、お教室ママたちの異様な雰囲気に怖気づいてしまったのも事実だった。



「それでね、私一人では難しいのよ。お休みの日には公園で逆上がりや縄跳びを見てあげて欲しいの」

その夜。

神宮前の自宅に戻った京子は、東山先生に言われた通り、手料理を作り絵本を読み聞かせて隼人を寝かしつけた。そして、春樹に今日1日の話を報告していた。家庭での生活が大切なことや、食育、父親との関係性が全て成果となってあらわれること。

「小学校受験ってそんなことしなくちゃ入れないの?俺は忙しいし無理だよ」

「あなたが幼稚舎か青山って言い出したのよ」

言い出した本人がお受験とはなんたるかを全く理解していなかったのだ。

「だいたい年中の夏から受験対策を始めるのだって、かなり遅い方だし、サマースクールだってキャンセル待ちして、たまたま運良く入れたんじゃない」

京子は必死だった。それなのに…。

「俺の先輩は子供が3人いて奥さんが全て1人でやって、1番上は暁星、下2人は青山だって。だいたい月10万も払ってお教室通いさせるのに、なんで教室で全部やってくれないんだ?俺まで協力しなくちゃいけない理由がわからない」

京子は黙って春樹の文句を聞いていた。

「……わかったわ」

言い返しても倍返しになるのはわかっている。やり場のない苛立ちで、頭の芯がチリチリと音を立てているようだった。

「牛乳買い忘れたから、コンビニ行ってきます」

京子はiPhoneと財布を片手に立ち上がった。

「俺のコーラもね」

何食わぬ顔で被せるように自分の用事を言いつける春樹。


1階に降りると、コンシェルジュと目を合わせないように、足早にフロントを通り抜ける。外に出るとじわっと涙が溢れてきた。

すると、春樹からLINEが。

「子育てくらい、1人でやれよ」

京子は空を見上げると大きく息を吸い、無言で歩いた。

―チクショー!ざけんな!
......


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