SPECIAL TALK Vol.56

~制約がバネに、逆境が燃料になるということを、自分の人生を通じて証明したい。~

いったん就職するも、やはり起業の道を探る

金丸:中学、高校と親戚の家にお世話になって、その後、早稲田大学に進学されますが、大学の学費はどうされたのですか?

前田:できるだけ優秀な成績を収めて、給付奨学金を受給していました。それでも足りない部分は、アルバイトで賄いました。その過程で、これまで数えきれないほど、いろんなアルバイトを経験したと思います。

金丸:決して裕福ではない状況で、大学には進学せずに就職するという選択肢もあったと思いますが。

前田:そうなんですが、明確に良い大学に行きたい理由があった。それは、兄を喜ばせたかったからです。兄は僕のちょうど10歳年上。母が亡くなったときは18歳で、受験勉強の真っ最中でした。

金丸:ということは、お兄様は進学を断念なさった?

前田:はい。高校卒業後にすぐ働き始め、親戚の家にお金を入れてくれました。だから僕には、兄に育ててもらったという意識も強いですね。

金丸:そうなんですね。

前田:大学2年生くらいからは、個人のファイナンシャル・プランニングを手伝ったり、株式投資を教えたりする会社でも働きました。予算をもらって、増やしたぶんはリターンとしてもらう、ということもありました。

金丸:大学卒業後は就職されますが、起業しようという考えはなかったのですか?

前田:本当は就職するつもりはさらさらなくて、起業する気満々でした。ところが、一緒にやろうと話していた親友が「やっぱり国家公務員になる」と言いだしたので……。

金丸:リスクを取るのが怖くなったんでしょうね。

前田:僕は、何をやるか以上に、誰とやるか、すなわち、彼と一緒にやりたい、という思いが強かったので、だったら一度、サラリーマンとして経験を積むのもいいかなと思い、外資系の投資銀行とITベンチャーだけに絞って就職活動をしました。外資系投資銀行に入り、翌年、アメリカにある同じグループの会社に移ったのですが、ただそこも2年で辞めて帰国しました。

金丸:高校時代から磨いた英語力で活躍できる場所ですよね。帰国のきっかけは何だったのですか?

前田:僕に音楽を教えてくれた従兄が亡くなったんです。11歳年上とはいえ、まだ若かったので、青天の霹靂でした。死を身近に感じたのは母が亡くなって以来のことで、「いつ死ぬかわからないこの世界で、この仕事を続けていいんだろうか」と考えるようになりました。証券マンとして大きな額を動かしてはいたものの、僕がいなくても、マーケットでは価格が勝手に決定され、利益を得る投資家もいれば、損をする投資家もいる。

金丸:ゼロサムの世界ですからね。

前田:要は、自分にしか生み出せない代替不可能な価値を、当時の僕は何も生み出せていなかったんです。もちろん金融の世界においても、ある程度トップまで登り詰めれば一定代替不可能性が育ち、大きなインパクトを世界にもたらすことができます。でも僕がそこにたどり着くまでに、どれだけ時間がかかるかを考えると……。外資系とはいえ、やはり経験値というかストックがフローよりものを言う年功序列の世界です。「やっぱり起業しよう」と心に決め、就職活動のときに出会ったDeNAの南場智子さんのところへ報告に行きました。

金丸:そのときはDeNAに就職するつもりはなかったのですか?

前田:なかったですね。自分が温めてきた事業計画があったし、仕事で知り合った方々から資金調達もできそうだったので。本当にこれで大丈夫なのかを南場さんにぶつけて、意見をもらいたかったんです。

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