タクシー代を払って得たもの
トニーは、30歳で起業したコンサルティング会社が成功して、瞬く間に大きな会社になったと語る。
「あの頃は無我夢中で仕事して、夜はほとんど毎日経営者仲間たちと港区界隈を朝まで飲み歩いていました。“港区おじさん”という部活に所属していたようなもの。部長みたいなカリスマ経営者がいて、その人を中心にメンバーがいるんですよ」
愛嬌があって話が上手なトニーは、お食事会の主要メンバーとしてよく呼ばれた。
「お食事会の後は、一列に並んでいる女の子たちにタクシー代を配っていました。たまにタクシー代を渡した後に、列の最後尾にまた並んで2回タクシー代をもらっている女の子もいましたね(笑)。女の子に渡すタクシー代だけで一晩で10万円以上使うこともよくありましたね」
月の交際費で考えると、馬鹿にできない額だ。それでもトニーが夜な夜な街へ繰り出していたのには、ちゃんと理由があった。
「そこで知り合った経営者たちとは、今でも一緒に仕事をすることもあります。実際、沖縄で一緒に仕事している仲間もその時出会った人たちだから、大事な社交場だったんです。人材が一番重要な資源だから、タクシー代なんて安いものでしたよ」
たしかに、“港区おじさん部”に所属することができるのは選ばれた者のみであるため、そこに集まる人たちは優秀な者が多いのだ。
「そうそう、港区おじさんOBの特権といえば、今でも僕が行くお店は、当時知り合った飲食店経営者のお店ばかりで、ホームページには載ってない秘密の個室に案内してくれたり、メニューにはない裏メニューを出してもらうこともできることかな」
現役でなくとも、当時の仲間との絆は深いようだ。
だがそもそも、有り余る富を持ち港区を手中に納め、何の不自由もない生活をしていたトニーが、なぜわざわざ沖縄とのデュアル生活を選んだのだろうか。
この記事へのコメント
そんな人生恥ずかしくないんだろうか^_^;