彼女は僕より8歳上の、35歳。普通に考えれば、「自分のことをもっとちゃんとしたい」なんてあやふやなことを言っている場合じゃない。もしかしたらまだまだ自分は、もっとイイ男を捕まえられると思っているのか―?
いやいやでも待て。
落ち着いて考えてほしい。
僕だってかなりの優良物件なはずだ。
まだ27歳で、サラリーマンにしてはかなりの高給取り。しかも身長は四捨五入すれば180センチの、自分で言うのもなんだがそこそこのイケメン。彼女に秘密で行っていた “お食事会”なんかでは、それなりにモテてきた。
それに何より…。こんなことを言うのは癪だが、僕は彼女を心底愛していた。
そこまで考えて僕は昨日から飲みかけの、冷え切ったカプチーノを口に含み、ソファにどさりと腰かける。狭いワンルームの部屋は洋服とコンビニの袋が散乱していた。
何をどうしても、由梨子さんのことが頭にこびりついて離れない。
由梨子さんは青山にある小さなデザイン事務所で、WEBデザインの仕事をしていた。そこそこに売れっ子らしく、仕事が終わるといつも疲れきっていて、ストレスから体調を崩すことも多かった。結婚して辞めていいよと言っても、これが昔からの夢だからと頑なだった。
僕はそんな弱くて、でも少し負けん気の強い彼女が大好きだった。
目は細くて少しそばかすがあって、決して美人だったわけじゃない。髪はいつも明るい栗色に染めていて、洋服は明るい色、赤とかオレンジを好んで着ていてそれがよく似合っていた。初めて会った食事会でも、ふんわりしたベージュのセーターに真っ赤なスカートを履いていて、それがとても可愛らしくて印象的だったのを覚えている。
それにそうだ、思い出した。
その食事会中、疲れていたのか男たちが外れだと思ったのか、いい大人のクセに彼女は終始仏頂面だった。けどそんなところが面白くて可愛くて、8歳上ということも気にせず猛アタックしたのだった。
思い出せば思い出すほど、僕はドツボにはまっていく。
本当に最低な女だ。こんなに大切に思っている男をそんな理由であっさり振るなんて、かなり身勝手だ。結婚だってちゃんと考えていたのに―。
エアコンを強暖房、30度まで暖めた部屋のベッドでブランケットにくるまりながら、ぼーっと天井を見つめる。
そうだ。
この狭いワンルームには、彼女の荷物がまだたくさんある。それを届けるという口実で会いに行こう。
彼女だって勢いで言ってしまっただけで、もしかしたら後悔しているかもしれない。会いに行ったら少しびっくりした顔をして、でもいつも通り僕を受け入れるかもしれない。
そして行きつけの『琉球チャイニーズTAMA』で、彼女の好きな自家製腸詰と僕の好きな麻婆豆腐を頼み、お酒が弱い僕らは1杯だけワインを飲む。そしてほろ酔い気分で家に帰り、もしかしたら彼女はいつも通り僕の腕の中にすっぽり収まって、スヤスヤと寝るかもしれない。
そう思うと一気にエネルギーが湧いてくる。
僕は彼女の荷物を一気にまとめた。薄いピンクのコットンパジャマ、紫色のボトルの化粧水、化粧品がどっさり入った花柄のポーチ。それを1つずつ丁寧にエストネーションの紙袋に入れ、意気揚々と彼女の家がある南青山へと向かった。
家にある荷物は適当に処分して欲しいと言われていたが、化粧水などはなかなか高価そうだし、届けてあげたほうがいいだろう。
―荷物があるから、届けにいくね。
そうLINEを打つ。時刻は22時半過ぎ。彼女のマンションまでタクシーで15分ほど。仕事でも会食でも、彼女はいつも23時頃には家に着いているのでちょうどいい頃合いだろう。僕は三田通りに出てタクシーを拾い、彼女の家に向かった。
しかし人生とは、そんな思う通りにいかないものだ。
この記事へのコメント