23時ちょうどに彼女の家に着いたが、LINEは未読のまま。しかもマンションに着いたと同時に雨が降り出した。外で時間をつぶすのも億劫になり、仕方なくマンションのエントランスで待つ。
でもあと少しで彼女に会えるかもしれないと思うといても立ってもいられず、何度も外へ出て駅の方まで歩き、雨に濡れて寒い思いをする…そんなバカみたいなことを繰り返していた。
LINEは23時半を過ぎても既読にならず、0時を過ぎても何の音沙汰もない。0時を14分過ぎたところでようやく既読になったが、返信はなかった。
僕はひどく心配になった。彼女の身を心配すると同時に、ある1つの疑念がムクムクと湧いてきたのだ。
―もしかして、他の男と会ってるとか…?
そこまで考えて思考をストップさせる。
いくらなんでもそれはないだろう?由梨子さんはそんな女じゃない。あっさり僕を振るくらいは最低な女だけど、二股をするような女じゃない。
―由梨子さん、何かあった?大丈夫?
僕は0時20分を過ぎてLINEをもう一度送る。すると彼女からすぐにコールバックがあった。彼女の電話越しは騒がしく、まだ飲んでいるからもう少しかかる、帰宅は1時を過ぎそうだけど大丈夫かと聞かれた。
ひとまずほっと胸をなでおろし、「もちろん」と答え、大人しく彼女を待つことにした。
そして待つこと30分。
マンションのエントランスに、ついに由梨子さんが現れた。僕の見たことのない大人っぽい黒のガウンコートを着て、手には上質そうなレザーのブランドバッグを持っている。
「悠君、ごめんね?寒かったでしょう?」
彼女はぎこちなさを一切見せず、優しい笑みをたたえてそう言った。その唇は体の内側から滲むような、艶っぽい深紅で彩られている。いつもより色っぽい雰囲気の彼女にドキドキしながらも、精一杯普段通りに振舞った。
「由梨子さんの荷物持って来たんだ……」
僕はじっと目で訴えかけた。
今日はもう帰りたくない。
このまま由梨子さんと朝までいたい。
すると彼女は少しの間のあと「やだ、雨でぬれてるじゃない。とにかく家に入りましょう」と言ってエレベーターのボタンを押した。僕は内心ガッツポーズをする。
家に入ると散らかっててごめんね、と優しく僕を招き入れ、温かいハーブティーを入れてくれた。僕はその熱いカップを両手にとり、ほっと一息つく。
部屋の中は全然散らかってなんかなくて、いつも通りジョーマローンのレッドローズの香りがする暖かな空間だった。僕と付き合っていた頃と何も変わっていない(別れたのは3日前なので当たり前だが)様子に、安心する。
「ねぇ由梨子さん。…今日、泊ってもいい?」
そう声を振り絞ると、彼女は少しだけ驚いたように目を見開き、「もちろん」と頷いてくれた。心の中でもう一度大きくガッツポーズする。この家には僕用のパジャマも歯ブラシもワックスも、全て揃っているから大丈夫。
そしていつも通り、スタスタと洗面所に向かった。
しかし洗面台にある、銀色の歯ブラシ立てを見た瞬間ー。数秒前までのウキウキした気持ちは一気にしぼんでいった。
3日前まであったはずの、僕の緑色の歯ブラシが姿を消している。洗面台の上の扉に置いていたスウェットもない。
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