人はいつだって、恋できる。
だが振り返ったときにふと思うのだ。
あのときの身を焦がすような激しい感情を味わうことは、もうないのかもしれない。あれが「最後の恋」だったのかもしれない、と。
それは人生最高の恋だったかもしれないし、思い出したくもない最低な恋だったかもしれない。
あなたは「最後の恋」を、すでに経験しているだろうか…?
この連載では、東京に住む男女の「最後の恋」を、東京カレンダーで小説を描くライター陣が1話読み切りでお送りする―。
今回は、外資系投資銀行に勤める男性・悠(35)の話。
―あれ、由梨子さん…?
12月も終盤に差し掛かった、ある週末。
広尾の日赤通りを車で走っていると、真っ赤なスカートを履いている女性に目がいった。
髪は栗色のくせ毛で色素が薄く、足早で駅に向かう彼女の吐く息は白い。その姿にすっかり目を奪われていたら、青信号に気づかず後ろからブッとクラクションを鳴らされ慌ててアクセルを踏んだ。
◆
あれはもう8年前、僕が27歳の頃のこと。
3年ほど付き合っていた彼女、由梨子さんに振られた。それはもう、鮮やかすぎるほどに呆気なく。
振られた翌日。
僕はぼんやりした頭で、当時住んでいた近くの、木の葉が枯れきって寒々しい目黒川沿いを歩いていた。
右手にはスタバで買ったカプチーノのトールサイズ。今日は夜中にマイナス1度まで冷え込むかもしれないと天気予報でやっていたのを思い出す。
寒さで頭が働かないのか、失恋のショックなのか、どこまでもまっすぐ続くように見える目黒川沿いをひたすら歩き、気づけば池尻大橋まで来ていた。
フラれた理由が「他に好きな人ができた」とか「僕のことが嫌いになった」なら、百歩譲って納得する。でも彼女はこれしか言わなかった。
「自分のことをもっとちゃんとしたくて」
僕はその言葉にひどく混乱する。
ちゃんとしたくて、ってなんだ?そんな理由で、3年付き合った男を振るか?本当に何て女だ。あまりにも唐突で身勝手過ぎる。納得できなかった僕は何度も何度も聞いた。
「他に好きな男ができたのか」
「僕のことが嫌いになったのか」
しかし彼女はひたすらに首を横に振るだけ。
だから僕は全然割りきれなかった。本当に、全然。
そんなことをぼんやりと考えながら、家に帰ろうと目黒川沿いを折り返す。いつもは気持ちよく歩くこの道も、今日は下水の匂いがツンと鼻についた。
翌日、寒さにやられたのか、熱を出した僕は会社を休んだ。
外資系投資銀行に勤める僕は、それなりに毎日忙しい。上司に電話すると、この忙しい時期に体調不良で休むなんてありえない、と直接的には言わなかったものの、言葉の端々にそれが滲んでいた。
でも僕はもう仕事なんてどうでもよくなっていて、とにかくもう一度彼女と会う方法を考えた。
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