SPECIAL TALK Vol.48

~VRによる体験がガラパゴス化した医療を変えていく~

「もっといい方法がある」と、常に模索する子どもだった

金丸:ご出身はどちらでしょう?

杉本:東京都の葛飾区柴又です。

金丸:『男はつらいよ』の舞台ですね。当時の葛飾区って、どんな感じでしたか?

杉本:それこそ寅さんの影響で、門前町はにぎわっていましたが、ちょっと路地に入れば住宅ばかり。普通に畑や田んぼもある、ど田舎でした(笑)。

金丸:杉本さんはどんなお子さんでしたか?

杉本:やんちゃでしたよ。外遊びが大好きで、木に登ったり。

金丸:やんちゃな感じは、今もちょっと漂ってますね(笑)。ご実家も医者ですか?

杉本:それが違うんです。私が通っていた私立の学校には、実家が医者という同級生が多かったんですが、そのことを知ったのも高校生になってからで。それくらい医者には興味がありませんでした。

金丸:では、何に興味が?

杉本:世界中を旅する船乗りに憧れていましたね。

金丸:それは面白い。

杉本:今はもうありませんが、江戸川の渡し船である「矢切の渡し」に乗ったとき、「船を使えば川を渡れるんだ」と感動したんです。同じように道具を使えば、世界中どこでも行けるはずだと。

金丸:だから船乗り。

杉本:子どもなので、飛行機という発想がなくて(笑)。でも、外の世界を見たいという気持ちは昔からありました。

金丸:探検家気質なんですね。学校では、先生の言うことを聞くタイプでしたか?

杉本:いわゆる〝いい子〞でしたね。要領がよかったと思います。ずるい、とかじゃなくて、何事に対しても「もっといい方法があるのに」と気づいて実行するタイプでした。

金丸:気づいたら実行する、というのは大事ですよ。

杉本:ほかの子たちも気づいてはいるのですが、実行には移さない。「なんでやらないの?」と聞くと、「人と違うことをするのが恥ずかしいから」とか「怒られるから」と。私は、そんなこと気にしないでやったらいいじゃない、という子でした。

金丸:子どもの頃から本質的な考え方をしていたことが、今の杉本さんにつながっているんでしょうね。

杉本:2つ上の姉の影響が大きいかもしれません。今はソニーのエンジニアなんですが、小さいときから計算が得意で、何事も素早く片付けるんですよ。すごいなと思ってました。それができるのは、物事の要点を即座に判断して、どうすれば最も効率がいいか筋道が見えるからですよね。そんな姉に憧れて、私も算数と数学は頑張りました。

金丸:勉強以外のスポーツは、どうでしたか?

杉本:小学生のときにサッカーとスキーを始めて、大学時代は競技スキーを。

金丸:スキーを始めたきっかけは?

杉本:4年生のとき、通っていたスポーツクラブで初めて滑りに行ったんですが、転んで捻挫してしまい、その年はほとんど滑れなくて悔しい思いをしました。それで次の年に「よし、やってやろう」と。

金丸:負けん気が強かったんですね。

杉本:負けず嫌いです。それにうまくなると、みんなが「わーっ」と盛り上がってくれるじゃないですか。自分が褒められる以上に、それが嬉しくて。必死に練習しました。

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