SPECIAL TALK Vol.47

~子どもたちが幸せに暮らせる国になるように、自分の何が生かせるかを考え抜く~

大学生活や短期留学で広い視野を得る

金丸:大学生活はどうでしたか?

翁:楽しかったです。大学自体の自由度も高かったし、テニスなどのサークルに入ったり、短期留学したり、国際金融のゼミに所属したり。

金丸:留学はどちらに?

翁:イギリスです。18歳と19歳のときに2回、3ヵ月ちょっと滞在しました。

金丸:その歳だと、なおさら影響も大きいでしょうね。

翁:期間こそ短いものの、とても刺激的でした。国内にいたらわからない、外から日本を見て初めて気づくことがたくさんありましたね。留学先では日本人は私だけで、ほかはベルギーやポルトガル、ユーゴスラビアなど、いろいろな地域から来ていました。みんな日本に興味を持ってくれて、いろいろ質問されたのですが、私は全然答えられず……。自分が歴史や文化、政治など日本についてまったく知らないことを思い知らされました。

金丸:ほかの国から来ていたお友達は、違っていたわけですか?

翁:違っていましたね。それぞれの国の事情や素晴らしさを自信を持って発言し、国情を踏まえた上で自分の考えをしっかりと話していました。そのギャップに大きなショックを受けまして。「世界のなかの日本」という視野を持つ重要性を痛感しました。

金丸:私も大学時代にアメリカを格安バスで旅行した経験がありますが、若い頃に海外に行ってみるというのは、凝り固まった視点から自分を解放するいい方法だと思います。日本が世界の中心というわけではないし、東京だって、日本のなかでは特殊な場所ですから。

翁:そうですね。ちょうど映画の『サタデー・ナイト・フィーバー』がはやっていたので、ビージーズの曲を聴くと、あの頃のことを思い出しますね。

金丸:大学では、国際金融のゼミに所属していたとのことですが、最初から金融業界に就職しようと決めていたのですか?

翁:金融には関心があり、世界を広く見たいと思っていました。

金丸:金融は経済の血液。ありとあらゆるところと関係があります。

翁:金丸さんの場合はITですが、金融もITもお付き合いする業種が限られていませんよね。そういう仕事を通じて、世の中のさまざまな業種を見ながら経験を積んでいきたいと思ったんです。だから、外資系の金融機関や金融機関系の研究所などを優先して見て回りました。

金丸:そのなかで日本銀行に決めたのは、なぜでしょう?

翁:ひとつは、広い視野で経済を見ることができそうだということ。それから、就職活動でいろいろな方とお話をしたのですが、魅力的な方が多かったこと。それに、当時は男女雇用機会均等法が施行される前でしたが、日銀では女性も男性と同じように仕事をやらせてもらえる環境でした。

金丸:女性は一般職というのが、当たり前の時代でしたからね。

翁:そうですね。私が入行したときも、女性の総合職は珍しい存在でした。日銀の方には、私はまだまだおとなしく見えていたようで、「結婚しても仕事を続けるの?」とよく聞かれました。私としてはバリバリ仕事するつもりだったんですけどね(笑)。

社会の荒波に飛び込み、経済活動の実態を知る

金丸:最初の配属先は、どちらですか?

翁:金融研究所でリサーチを担当しました。新人なので、はじめはアシスタントとして雑誌の編集をしていましたが、最後は論文も書かせてもらいました。次に、今はもう組織改編でなくなった営業局という部署で、地方銀行を担当したあと、2年ほど京都支店で働きました。

金丸:京都支店では、どのような仕事を?

翁:経済や景気の動向を調査、分析する産業調査などです。企業に直接出向く機会も多くて、とても勉強になりました。

金丸:京都というと、優良企業がたくさんありますよね。

翁:ええ。オムロン、ローム、任天堂、村田製作所、日本電産といった大企業だけじゃなく、丹後ちりめんの機屋のような伝統のある企業が数多くあります。そして京都にいたときが、まさにバブルが始まるという時期でした。

金丸:では、バブルの到来を肌で感じたのですね。

翁:すごかったです。西陣織の帯屋では金箔を貼り付けた品物から売れていくし、宿も俵屋旅館のような高級旅館から先に埋まっていって、安宿は見向きもされない状況でした。もちろん車も高級車から売れていましたね。産業調査のあと、信用金庫や地方銀行の担当になったんですが、規模の小さな金融機関がたくさんあるのを見て、「今はいいけど、不動産や株が下がったら、大変なことになるのでは」という怖さを感じていました。

金丸:その予感が的中してしまうわけですね。バブル崩壊で都銀はもちろんのこと、信金も地銀もガタガタになりました。京都のあとは東京に戻られたのですか?

翁:はい。今度は調査統計局に。ここは特に残業が多い部署で、毎日深夜12時まで仕事するのが当たり前というハードワークでした。仕事に加えて、勉強の時間も作らないといけないので、睡眠時間を削っていましたね。自宅まで帰れず、実家に泊めてもらうことも多くて、親には心配をかけました。その後は再び営業局に異動し、市場課に配属されました。ここは資金を供給、吸収することで、市場に出回る資金の量を調整するところです。

金丸:日本経済に大きな影響のある部署ですよね。

翁:市場に出回る資金の量を調整する部署なので、日々、何千億という単位のお金が動いていました。市場を円滑に回すために、胃の痛む毎日で。ただ、市場がビビットに動くのを間近で見られたのは、とてもいい経験でした。大学で勉強できるのは、あくまで理論です。日銀での仕事を通じて現実を知り、理論と実体経済のギャップを見たことで、エコノミストとしての足腰が鍛えられたと思います。

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