偏屈男・吾郎の激変
「...はぁ?子ども?欲しいならサッサと作ればいいだけの話だろ」
松田が清水の舞台から飛び降りる覚悟で悩みを打ち明けたというのに、吾郎は涼しい顔でバッサリと即答した。
吾郎が新婚クライシスに陥り珍しく乱れていたとき、松田は散々親身に相談に乗ってやった。だがこの偏屈男には、恩や義理といった感情は当然のように欠落しているのだ。
さらに、二人は丸の内の殿堂入りランチ『レストラン サングリア』で向かい合っているが、吾郎はスパイス増しのカレーを黙々と口に運んでいるにもかかわらず、その顔には汗一粒見当たらない。
一方の松田は、オフィスから少し外に出ただけで滝汗状態である。イケメンはやはり、細胞レベルで凡人とは作りが違うのだろうか。
「だから...そう簡単に事が運ばないから困ってんだろ...。嫁は犬二匹に夢中だし、ウチはだいぶ前から寝室も別なんだよ」
「嫁は、お前が子ども欲しがってるのを知ってるのか?」
「い、いや...、そんなこと軽々しく言える空気でもねぇよ...」
松田が答えると、吾郎はさも面倒臭そうに大きな溜息を吐いた。自分を見つめるその冷たい目は、「情けない男だな」と、言わずもがな語っている。
やはり、吾郎などに相談を持ちかけようとした自分が馬鹿だったのだ。
これ以上蔑まれても男のプライドが傷つく一方であるため、松田は咄嗟に話題を変えた。
「で、吾郎はどうよ?“そして父になる”気分はさ」
「あぁ...。別に」
すると吾郎は、いつもと同様に低い声で素っ気なく答えたが、その表情にほんの少しだけ“照れ”が混じっているをの松田は見逃さなかった。
「なんだよ、いくらお前みたいな奴でも、実は嬉しかったりするんだろー?隠すなよー。嫁さんの体調はどうだ?もう安定期?性別は分かったか?」
松田が質問責めにすると、吾郎は心なしか顔をほんのりと赤くした。
「あぁ、英里は元気だ。身体はトドみたいになってきたが...」
「お、お前...、妊婦にトドとか絶対言うなよ?また大変なことになるぞ...」
相変わらずの身も蓋もない毒舌に、松田は一人鳥肌が立つ。
「......だった」
しかし次の瞬間、吾郎は柄にもなくモジモジと小声で何か呟いた。
「え?なんだって?」
「だから......どうやら......女の子......らしぃんだょ」
そう口を尖らせて答えた吾郎の顔は今度こそ真っ赤に染まっており、こめかみには数粒の汗が伝っている。
冷徹で皮肉屋、普段は感情をほとんど表に出さない男の激変を目の当たりにした松田は、胸の奥から感動が沸き起こり、思わず目頭がジンと熱くなるのを感じた。
この記事へのコメント
もはや心理的DV?レベルで引いてます。