松田家の夜の掟
―春ちゃん、起きてる?
薄暗い寝室で、松田は隣のマスターベッドルームにいるはずの春子にLINEを送る。
―寝ようと思ってたけど。
―ちょっとだけ、そっちに行ってもいいですか?
夜、春子の寝室に伺う際は、こうしてLINEでまず伺いを立てるのが松田家の掟だ。これは暗に夫婦生活の誘いとなっているが、運が良ければ月に1度くらいは承諾をもらえる。
ドキドキ緊張しながらスマホを握りしめていると、「ちょっとだけなら」と返信がきたので、松田は飛び上がるような気持ちで急いで春子の寝室をノックした。
「ほらほら、ココちゃん、ナナちゃん。今日はリビングのソファでネンネしましょうねぇ〜」
松田は逃げまくる2匹の犬を捕まえ、とりあえず寝室から追い出すと、いそいそと春子のベッドにお邪魔する。
「はぁ、この部屋のベッドはやっぱり最高だなぁ...」
だが松田は、春子の身体よりも、シモンズのキングサイズの高級ベッドの感触にまず溺れてしまう。隣室でいつも使用している安物のシングルベッドとは、寝心地がまるで違うのだ。
春子はそんな自分を冷めた顔で眺めているが、どうやら拒否する様子はなさそうだ。
「春ちゃん、今日も本当に可愛いね...」
松田は本心からその言葉を口にする。ぷくっと尖った唇や、挑発的に光る真ん丸の瞳は、結婚前から松田のツボだった。
「...ところでさ、春ちゃん、最後の生理はいつだったかな...?」
「はぁ?」
「いや、俺たちもさ、そろそろ子どもをつく...」
「ねぇ、本当キモいんだけど」
春子は低い声でそう言うと、思い切り松田の身体を押し退けて起き上がった。
「ご、ごめん...。急に驚かせたなら謝るけど、俺たち結婚してだいぶ経つし、やっぱりそろそろさ...」
「だからキモい。ていうか、寝るから出てってくれる」
「ちょっと春ちゃん、俺たち夫婦だろ?そんな言い方しなくても...」
妻のこの態度には、さすがの松田もカチンと来た。
専業主婦で毎日ダラダラとドラマばかり観て過ごしているクセに、なぜそれほど子作りを拒否されなければならないのか。
一家の大黒柱を足蹴にするのにも限度がある。ここは一度、ガツンと話し合うべきだろう。
しかし松田が意を決したのもつかの間、春子はやはりドラゴンのような形相で、衝撃の言葉を口にした。
「私はね、ココとナナの世話で忙しいの。子どもなんか育てるヒマないの分からない?それにハッキリ言って、優一くんの子どもなんて欲しくないから」
春子の容赦ない暴言に、松田は頭を鈍器で殴られたような強大なショックに襲われる。
―俺の子どもが、欲しくない...?
頭の中では、妻の言葉が何度も何度もリフレインされている。
その呆然とした状態で、松田はさっさと背を向けて寝息を立て始めた春子の背中を、暗闇の中でいつまでも見つめていた。
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撃沈する松田大先生。ポンコツ嫁説得のため、吾郎夫妻とホムパを計画するが...?
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この記事へのコメント
もはや心理的DV?レベルで引いてます。