「ナナちゃん、ママの様子が数日前からおかしいのよ」
姉の沙耶から、代官山の『アイヴィープレイス』でランチをしようと呼び出されたのは、父の一周忌を終えて1週間が経過した週末のことだった。
姉には、小学5年生になる息子がいるが、今日は夫とサッカー教室に行っているとかで、一緒ではなかった。
「ママってばね、パパのロレックスのコレクション、私たちに黙って勝手に全部、質屋に売り払っちゃったみたいなの」
「ええっ…」
父が自慢していた腕時計の見事なコレクション。時計を愛でるときの父の微笑みを思い出すと、胸がきゅうっと締め付けられるような気がした。
「それどころかね、パパがあんなに大切にしてたポルシェも黙って2台とも売却しちゃったらしいの。パパ、天国で泣いてると思わない?」
「そうなんだ…。ママ、お金に困ってるんじゃないかな」
残された多くの財産はあるものの、父の死以来、医院は休院している状態だ。それまでの収入がストップしたのだから、当然母としても不安なのだろう。
ところが姉は「そうじゃないみたいなの」と私を遮る。
「お金に困ってるのね、って聞いたら、私を馬鹿にしないでよって怒鳴られたわ。そうじゃなくてね…」
そして姉は衝撃的な言葉を口にしたのだ。
「もう必要のないものなんだから、持っていても仕方がない。思い出になんて一銭の価値もないんだから、って冷たく言ったのよ、ママったら」
「そんな…」
だけどすぐに、私は思い直した。きっと母は1周忌を終え、前進しようともがくあまり、本心ではないことを口走ってしまったにちがいない。
そう思った私は、姉をなだめるように言った。
「いずれにせよ、心配だね。有給も余ってるから、来週あたりママの様子見に行ってみるよ」
こうして私は、翌週長野行きの新幹線に飛び乗った。家を出る直前に、そういえばその日は給料日だったことを思い出し、記帳をするため通帳を鞄に入れて。
実家の門をくぐると、広い敷地の中には、2棟の大きな建物が隣接して佇んでいる。ひとつは桐谷医院、もうひとつは私もかつて暮らしていた、家だ。
重い玄関の扉を開いたら、懐かしい実家の香りにホッとして、でも同時に目頭が熱くなった。上京前に暮らしていた頃と何ら変わっていない家なのに、父はもういないなんて。
しかし私は、荷物を置こうと自分の部屋に入って、思わず入り口に立ち尽くしたのだった。
なぜなら、ベッドと机を除いて、物が何ひとつ残されていないのだ。つい2週間前に一周忌で帰ったときには、この部屋は高校時代とそっくりそのままだったのに、今は違う。雑貨や文庫本のコレクションもぬいぐるみもすっかりなくなって、ガランとした部屋の片隅には段ボールが積み上げられている。
「あら、七海。帰ってたの?遅かったじゃない」
気がつくと背後に母がいた。
「…ママ、どういうこと?」
すると母は、冷たい声色で平然とこう言ったのだ。
「どういうことって、この家も土地も、売却することが決まったのよ」
この記事へのコメント
特に東カレっぽくない内容、テーマでいまいち。
もう少し東カレらしい小説増やして欲しいです。