
~ディープラーニングでGoogleに勝つ。起業の醍醐味は、小さな組織が大きな組織に勝つこと~
2020年のニューリーダーたちに告ぐ
2006年、東京大学と京都大学の学生が起業したITベンチャー、プリファードインフラストラクチャー。
技術者のみの理系集団として出発した同社は年々成長を遂げ、2014年には新会社、プリファードネットワークスを立ち上げた。AIベンチャーとして世界トップレベルの技術を誇り、国内外の大企業から熱い視線が注がれる。
そんな同社を率いているのが、少年時代からコンピュータとともに歩み、人工知能をさらに進化させることをミッションとする西川 徹社長だ。西川氏の半生から、次世代を牽引するリーダーが生まれるための条件を探る。
金丸:本日はお越しいただきありがとうございます。
西川:こちらこそ、お招きいただきありがとうございます。
金丸:今日ご用意したのは、西麻布の現代創作日本料理『笄町 濵矢』です。シェフの濵田さんは私と同郷の鹿児島出身でして、アメリカやタイ、バーレーンなど世界でご活躍されたあと、今年2月にこの店をオープンされました。鹿児島の食材も使われるそうなので、お料理を味わいつつ、西川さんの半生を伺いたいと思います。
西川:それは楽しみです。こちらこそよろしくお願いいたします。
金丸:西川さんは、いま日本で最も注目されている人工知能(AI)のベンチャーを率いています。まずは自己紹介も兼ねて、会社の事業内容を教えていただけますか?
西川:私どもの会社は、AIやディープラーニングの技術を提供しています。世界的にも非常に注目されている技術で、日本でもスタートアップから大企業まで、いかにAIを活用するかを模索しています。自動車や産業機械といった製造業やバイオ・ヘルスケアなど、あらゆる分野の企業と共同研究をしていて、より生産性が高く効率的なシステムの開発を目指しています。
金丸:これからはどの業種、業界においてもAIの活用は欠かせません。世界トップレベルの技術を誇り、世界で戦える数少ない日本のベンチャーです。なぜこの事業にたどり着いたのか、いろいろお聞きしたいのですが、まずご出身はどちらですか?
西川:東京の練馬区です。普通に公立の小学校に通っていました。
金丸:西川さんは身長があるから、スポーツ少年だったのでは?
西川:とんでもないです。小学生のとき、水泳とか野球とかいろいろなスポーツを母にやらされたのですが、全部嫌でした。とくに水泳は、スイミングスクールの「級」の仕組みが納得できませんでした。周りの子はみんな進級していくのに、自分は進級できなくて。その基準が泳ぐ速さなのか、フォームなのか、先生も説明してくれない。これじゃあ勝ち目がないな、と思ってやめました。野球はキャッチボールすらできませんでした。
金丸:それだとスポーツが嫌いになりますね(笑)。
西川:それでも周りに流されて、中学のときはテニス部に入ったんです。でもラケットにボールを当てられなくて、これは絶望的にだめだと諦めました(笑)。
金丸:キャッチボールさえできないのに、ラケットを使うテニスなんて、どう考えても無理ですよね(笑)。
西川:ですよね。そんなふうにスポーツで散々嫌な思いをしたのですが、大学でも懲りずに、運動系のオリエンテーリングのサークルに入ったんです。地図とコンパスを使って、山の中に設置されたポイントを通過しながらゴールするまでのタイムを競う競技なんですけど、〝地図を読む〞という要素があるので、体力で負けても知力でカバーできるんじゃないかと思って。でも実際には、体力がないとやっぱりダメで、大学3年でフェードアウトしました。
金丸:じゃあ、スポーツ以外はどうでしたか? パソコンとの出合いはいつだったんですか?
西川:パソコンに興味をもったのは、小学4年生のときです。父はセキュリティ会社の技術者なのですが、父が借りてきたBASICの入門書を読んだらすごく面白くて、はまってしまいました。でもパソコンは高くて買ってもらえなかったので、紙にソースコードを書いて、ずっと遊んでいましたね。それで中1のとき、初めて自分のパソコンを買ったんです。中古の壊れたのを1,000円で買ってきて、割れたキーボードを自分で直して。一日の半分ぐらいはパソコンの前に座って、ひたすらプログラミングをしていました。
金丸:コードを夢中で書いていると、時間なんてあっという間ですからね。
西川:そうですね。中学、高校ではパーソナルコンピュータ研究部という部活に入って、ゲームを作ったり、3Dのプログラムを組んだりしていました。そのうち、プログラミングだけじゃなく、どうしてコンピュータは動くんだろうという根本的な部分が知りたくなって、勝手に勉強していました。
金丸:その頃って、ちょうどマイクロソフトが急成長していく時期じゃないですか。
西川:まさに。子ども心に憧れていましたね。