SPECIAL TALK Vol.26

~自然と調和する文化で育った日本人こそ、世界の食料危機を救える~

ふたりの兄とともにパワフルに育った幼少期

金丸:まず、子どもの頃はどんなお子さんでしたか?

加藤:うちは5人家族で、兄がふたりいるんですけど、いつも兄たちの後をついて回っていました。千葉県の鎌ヶ谷市で生まれ育ったのですが、私が小さかった頃はまだ自然がいっぱいあって、秘密基地を作ったり、いかだを作って池で遊んだりしていましたね。野球やサッカーもよくやりました。

金丸:なんだか男の子の遊びばっかりですね(笑)。

加藤:髪の毛も短かったので、男の子3兄弟だとよく間違えられましたよ(笑)。

金丸:たまには、おままごとのような遊びはしなかったのですか?

加藤:まったく。リカちゃん人形なんて、夜中に動き出しそうで怖くて。

金丸:ご両親は、どんな方なのですか?

加藤:父はアパレルの事業をやっていて、母は専業主婦でした。両親とも〝放任主義〞に近くて、私たちが受験だろうが何だろうがお構いなく、毎年ふたりでクルーズの旅に出かけていました。

金丸:両親だけで旅行ですか!? しかもクルーズの旅とは、パワフルですね。

加藤:そうですね。家にカラオケセットがあったのですが、私たちが勉強している間も、ずっと歌ってるんですよ(笑)。こっちは2階の子ども部屋で必死に勉強しているのに、下からガンガン中森明菜の歌が響いてきて、「もう、やめて!」と思っていました。

金丸:すっごく明るい家庭(笑)。

加藤:家族が集まると、まあうるさくて(笑)。

金丸:加藤社長は、そんな騒がしいように見えませんが……。

加藤:家族のなかでは、一番おとなしいです。

金丸:ふたりのお兄様は、今は何をされているのですか?

加藤:一番上の兄は実家を継いで、2番目の兄は経営コンサルタントをしています。うちの兄弟は、みんな社長なんですよ。私も昔は研究者になりたいと思っていましたが、どう歩めばいいのかわからなくて、結果的に経営者になりました。

物事に没頭するタイプ。中学時代には勉強にハマる

金丸:研究者になりたかったということは、子どもの頃から勉強も熱心にされていたのですか?

加藤:それが遊んでばかりで、まったくしませんでしたね。でも6年生のときに、中学受験がしたいなと思って勉強を始めたら、すっごく楽しくて、受験が終わっても勉強していたほどハマりました。

金丸:中学はどちらに?

加藤:東京女学館中学校です。「白いセーラー服がかわいいから」と父に薦められて。

金丸:東京女学館は、お嬢様学校というイメージがあります。当時の加藤社長とはちょっと違うような……。

加藤:実は肌が合わなくて中退したんです。地元の公立中学に戻り、高校は慶應義塾女子高等学校に進学しました。

金丸:慶應女子を、なぜ志望されたのですか?

加藤:それは、当時一番の難関校だったからです。受験戦争に勝ちたくて、受けるなら一番難しいところを、と思って受験しました。

金丸:負けず嫌いなんですね。高校生活はどうでしたか?

加藤:面白かったですよ。いろんなバックグラウンドの子がいて、幼稚舎上がりのお金持ちの子たちから、中等部上がりのおませな子たち、そして高校から入ってくる、普通で純真な子たち。

金丸:純真な子たちって、自分のことですよね(笑)。

加藤:ですね。都会に慣れてない子もたくさんいましたし(笑)。高校さえ入ればそのまま大学に行けるので、入学した途端、みんな羽を伸ばすんですよ。私たちのときは、入学してすぐに「演劇祭」があり、クラスごとに自分たちでシナリオを書いて、衣装もすべて手作りしました。

金丸:アクティブな加藤社長のためにあるイベントですね。

加藤:うちのクラスは『アニー』という劇をしたんですけど、性格がアニーにぴったりだということで、主役を私が務めることになったんです。ほかに立候補者がいたのに。だから、やるからには徹底的にやろうと、スプレーで髪の毛をオレンジ色に染め、赤い服を着て練習しましたね。毎日楽しくて楽しくてしょうがなくて、高校ってなんて楽しいんだろう、って思いました。

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