
~若い世代は過去にとらわれないでグローバルな視点を持つこと~
2020年のニューリーダーたちに告ぐ
日本の最高学府である東京大学の教授でありながら、稀有な経歴を持つ柳川氏。幼少期からシンガポール、ブラジルで過ごし、ブラジル時代は高校に通わず独学で勉強を続け、慶應義塾大学通信教育課程に合格した。そこからさらに東京大学大学院に進学し、現在は教授として後輩の指導にあたっている。
そんな柳川教授が主張するのは、人生の“回り道”による価値観の広がり。そして、多感な時期を海外で過ごしたことで養われた“自分で考え、実行すること”の重要性。
日本の次代を担う柳川教授の生き方から、新たなリーダー像を模索する。
金丸:本日はお越しいただき、ありがとうございます。
柳川:こちらこそ、よろしくお願いいたします。
金丸:今日は銀座にある『GINZA KOSO』のVIPルームをご用意させていただきました。
柳川:スゴいですね。扉にオートロックが付いていました(笑)。
金丸:ここで自慢の黒毛和牛尽くしのコースをいただきながら、お話を伺いたいと思います。柳川教授とは、厚生労働省が主宰する「働き方の未来2035 一人ひとりが輝くために」という懇談会でご一緒させていただきました。今日はそういう場ではわからない、柳川教授のパーソナルな部分をぜひお聞かせください。
柳川:こちらこそ『東京カレンダー』を拝読しているので、大変光栄です。よろしくお願いいたします。
金丸:柳川教授は大変ユニークなご経歴をお持ちですよね。まずお生まれはどちらですか?
柳川:埼玉県の浦和ですが、父が転勤族だったので全国を飛び回っていました。物心がついた頃の記憶は大阪です。
金丸:お父様は何をされていたのですか?
柳川:銀行員です。当時の協和銀行(現・りそな銀行)に勤めていました。
金丸:なるほど。でも転勤ばかりだと、〝ふるさと〞という概念があまりないのではないですか?
柳川:実は出身地を聞かれるのが、一番困るんです。生まれは浦和ですが、まったく記憶がありませんし、大阪も幼稚園の年中までで、その後は横浜の日吉に移りました。そして小学4年生のときに、父がシンガポール勤務となり、家族で移住したのですが、私にとっても家族にとっても大きな転機になりました。