
~若い世代は過去にとらわれないでグローバルな視点を持つこと~
シンガポールで強制的に培われた独学の極意
金丸:その後、大学入学資格検定を取得されています。
柳川:長い間、最終学歴が〝中卒〞でしたし、当時は公認会計士を目指していたので、その受験資格のためにも大学には行きたいと思っていました。それで目をつけたのが、慶應義塾大学経済学部の通信教育課程。でも受験するには、高校の卒業資格を取らなくてはならず、大検を受験することにしたんです。
金丸:大検は大学受験よりも大変だと聞いたことがあります。
柳川:大学にもよるでしょうが、取得するのには苦労しましたね。当時は今の制度と違って、確か16科目位受けなければならず、科目の中に体育もあったぐらいです。
金丸:かなりハードルが高いですね。
柳川:体育の実技の合格率が実際にはどの位だったのかはわからないのですが、確か実技試験でバスケットのフリースローがあり、「これを外したら、不合格なんだろうか!?」とビクビクしたのを覚えています。
金丸:そうして全科目を受けて合格されたと?
柳川:はい。制度的には確か、年をまたいでもよかったのだと思いますが、僕の場合には、すぐにシンガポールに行く予定があったので、チャンスは1回で、幸い全科目に合格しました。
金丸:高校卒業の資格を与える試験が、どんな試験よりもハードルが高い。本当にチャンスが少ない国ですね。その後、慶應義塾大学経済学部通信教育課程に入学されます。ここは入るのは簡単だけど、卒業するのは難しいそうですね。
柳川:本当に難しかったです。
金丸:当時はインターネットもメールもない時代ですし、シンガポールでどうやって勉強していたのですか?
柳川:わざわざ郵送料を払って、課題をシンガポールまで送ってもらっていました。基本は送られてくるテキストを読んでレポートを書く、というものなんですが、そもそもレポートの書き方がわからない。今みたいにネットで検索することもできないし、日本にいれば図書館で関連する本を借りてきて、どうにか形にできたと思うのですが、それもままならず……。
金丸:Amazonもブックオフもありませんからね。
柳川:見よう見まねでやってみるものの、レポート用紙が埋まらない。本当につらかったです。人の力を借りることもできず、「これは自分で考えてゼロから書くしかない」と腹を括りました。
金丸:それが今に活きているんですね。〝独学の達人〞は、こうして生まれたと。
柳川:まさにゼロから生み出す訓練の連続でしたね。鍛えられました。このときの経験から、自分なりに目標を決めて、ひとりで試行錯誤しながら〝自分の頭で考え、学びを深めていく力〞を確立できたんだと思います。独学というのは、つまりそういうことなんだと。
金丸:ところで、試験はどうされていたのですか?
柳川:試験は日本で受けなければならなかったので、その都度帰国していました。それに、スクーリングという教室で受けなければいけない単位もあり、夏休みにまとめて受講していました。当時は教室にエアコンもなく、扇風機は先生の方を向いていて、みんな汗だくになりながら、授業を必死に聞いていましたね。座学なのにタオルとスポーツドリンクが必須でした。
金丸:暑さには、慣れていたんじゃないんですか?
柳川:さすがに限度はありましたよ(笑)。でも周りを見ると、普段は働きながら、時間を捻出して授業に出ている人ばかり。私はかなりダメな学生だったと思います。やはり、本当に学びたいと思って受けるのと、単位のため、就職のためと思って受けるのとでは、全然違いますよね。自分が教壇に立つようになって、さらにそう感じています。
金丸:その後、東京大学大学院経済学研究科に進学されます。独学から日本の最高学府へと進むわけですね。
柳川:前々から東大の大学院に行きたかったのですが、どうすれば入学できるのかわからなくて、知り合いに聞いたんです。そしたら、「とりあえず、モグリで東大の授業を受けたら?」と言われて。
金丸:東大生でもないのに!?
柳川:「誰が授業に出てるかなんて、誰もチェックしてないから」ということで、授業に出るようになったんです。
金丸:スティーブ・ジョブズ的な発想ですね。
柳川:最初は眼鏡をかけたり、変装したりしたんですが、次第に慣れてしまって。眼鏡を外して、席もどんどん前の方に(笑)。
金丸:慣れって怖いですね(笑)。
柳川:しまいには、授業のあと教授に質問しにいくようになりました。そこで目をかけてくださったのが、伊藤元重先生(現・学習院大学国際社会科学部教授)です。
金丸:伊藤さんですか! 私も懇意にさせてもらっています。
柳川:授業の後に図々しく質問に行ったら、「君、どこのゼミなの?」と聞かれまして。正直に「実は東大生じゃないんです」と答えたら、「じゃあ、うちのゼミに来ないか?」とお誘いいただきました。
金丸:なんて心の広い対応なんでしょう。
柳川:そういう経緯もあり、入学後は伊藤ゼミで学ぶことになりました。