SPECIAL TALK Vol.138

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ふと芽生えた「脚本家になりたい」


金丸:3兄弟の末っ子で、さらに年も離れていたら、両親からのプレッシャーはあまりなかったんじゃないですか?

山田:そうですね。何かを背負わされるようなことは、まったくなくて。ただ、成り上がりたいという野望とか野心がありました。

金丸:野望と野心!?そういうのを持たない人が世の中にあふれている中で、どうやってそんな気持ちが芽生えたのですか?

山田:それは小学生のときに、世の中がどんどんつまらなく感じるようになったからかと。

金丸:お兄様たちの影響もあって、山田さんが大人びていたからですかね?

山田:それもあると思いますが、家ではテレビを禁止されたり、学校では同じものを競わされたりと、平均値で評価されるような環境が全然合わなかったですね。

金丸:こういう話を伺うと、画一的なものを詰め込むのではなくて、好きなもの、得意なものをとことん突き詰められる世の中のほうが、みんな幸せになれるのに、といつも思います。

山田:その後、中学受験を経て中高一貫の男子校に行ったんですけど、そこがかなり自由な学校で。僕は水泳部に入ったんですが、好きな競技しか練習しなくても頑張ればちゃんと評価されたし、自分の好きなものを堂々と好きと言える環境でした。おかげで学校が楽しくて、自分のいろいろな面が開花したという実感があります。

金丸:それはよかった。自分の好きを共有できる友達もたくさんできたのでは。ところで、中高男子校ということは、女子との接点はあまりなかった?

山田:男兄弟だし、男子校だし、女子はもう分かんない生物でしたね。

金丸:野望と野心が、妄想と邪念に置き換わっちゃたりはしませんでしたか?

山田:それはもう妄想と邪念まみれでした(笑)。ただ、中学1年生のときから、ぼんやりと「脚本家になりたい」と思っていて。

金丸:それは何かきっかけがあったのですか?

山田:中学から電車通学になり、電車の中で本でも読もうかと本屋に行って見つけたのが、脚本だったんです。「そうか、脚本家という仕事があるのか」って。

金丸:テレビっ子だった山田さんが、テレビの中に入る具体的な方法を見つけたんですね。

山田:それから脚本家になる方法を自分なりに調べて、大学もそれで決めました。

金丸:大学はどちらに?

山田:日本大学芸術学部の映画学科脚本コースです。

金丸:すごいですね。『家なき子』との出合いから脚本家という職業を目指すまでがとても自然な流れで、全然ぶれもない。女子には目もくれずに一直線。

山田:いや、ちょっとは目がくれてましたけど(笑)。

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