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TOUGH COOKIES Vol.22

「彼氏に秘密があるから、結婚できない」念願のプロポーズをされた30歳女が、躊躇するワケ

ともみを見つめる美景が、唇をかみしめて頷いた。

「香川さん以外に…他に投資してくれる人がいないかも探したんですけど、結局ダメで。いたとしても、事業に期待してくれているわけじゃなく、香川さんと同じく、私に女としての見返りを求める人ばかりでした。

ならばいっそ、一番条件のいい香川さんにしようと。

自分に暗示をかけ続けました。夢のために、女としての自分を使うことなんてどうってことないと。

それに香川さんはお客さんの中でも好感を持っていた人だったから、もしかしたら好きになれるかもしれない、とも。——結局…感謝はしましたけど、恋することはできませんでしたけどね」

美景は、耐えられないとばかりに、カイピリーニャを一気にあおった。空になったグラスを片付けながら、ともみが次の注文を聞くと、同じもので、と無感情な答えが戻ってきた。

「香川さんの資金のおかげで、すぐに商品を作ることができて。予定より2か月遅れという範囲でおさまったので、お客様には商品へのこだわりで販売がおくれた、という程度でごまかすことができたんです」

その後商品は順調に売れてヒットし、美景は瞬く間に人気美容家になった。香川との関係を清算できたのは、香川に出資してもらった1,000万円を全て返済した時だったという。

「最初の商品の発売から2年後くらいのことだったと思います。売り上げは次の商品開発に回すということがしばらく続いていたので、密かにキャバクラでも働いて貯めて。

投資なので返済する必要はない、と言われたのですが、今度は私が、香川さんの事業に“同額を投資”する形で、けじめをつけてから、別れを切りだしました。香川さんは驚くほどあっさり受け入れてくれました。別れても応援してるからね、と笑って」
「それが何年前のことですか?」
「一真と付き合い始める数か月前のことだったので…たぶん2年くらい前ですね。そこから全く音沙汰がなかったんですが、脅迫されて調べてみたら、香川さん、離婚して親権も失ったみたいで。だから…自分が助けたはずの、私だけが幸せになるのが許せなかったのかもしれません」

― 幸せになるのが許せないとか…それだけじゃない気がする。

ともみは香川という人物を酷く不気味に感じた。美景が弱った時に偶然現れ、ずっと好きだったからと、愛人関係を条件に投資したかと思えば、あっさりと引く。そして2年ぶりに、いきなり脅迫をしてくるなんて、行動に一貫性がなさすぎる。

「脅迫のこと、弁護士には相談してないんですか?」

ともみの問いに、美景は「もちろんしました」と答えた。美景は、会社の弁護士ではなく、脅迫罪や強要罪に強い弁護士を頼り、相談したのだという。

「けれど今回の件を、脅迫で立件してもらうのは、かなり難しいみたいで。

最初の脅迫——結婚するなら全てをばらす、と脅されたのは電話だったので、証拠として残っていないんです。その後に何度かきたLINEも、“覚悟は決まりましたか?”とか“私には失うものはなにもないので、訴えられてもかまいません”という感じの曖昧な文章ばかりで、脅迫の決定的証拠にはならないらしいんです。

弁護士さんもなんとか方法を探ってはくれているんですけど…」

「そんな状況で一真さんにプロポーズされて…どうしていいかわからなくなって、この店にきたってことなんだね」

と言ったルビーに、美景が「ほんと情けないよね」と返した。そのタイミングで2杯目のカイピリーニャが出来上がり、強いアルコールの…カシャッサの香りとライムの香りが混じり立ち上る。

ともみはグラスを軽く一回転させて、黙って美景の前に差し出した。

「一真は公務員で…だからってわけじゃないけど、とても真面目で、キャバクラなんて行ったこともない人で。自分がプロポーズした女社長が、実は元キャバクラ嬢で、しかも愛人までやってたと知ったら、情報量多すぎて、ほんとショック死レベルですよね」

茶化すように笑った美景を、ともみが「ほらまた、それ」と制した。

「キャバクラなんて、って言うの、やめたほうがいいですよ」
「…え?」
「水商売とかキャバクラで働く女をなめるな、と言う割には、さっきから美景さん自身が、水商売の女の人たちをバカにしてると思います。キャバクラ“なんて”ってどういう意味ですか?」


「…それは…」

言いよどんだ美景の、その先の言葉は出なかった。

「“女が女を使って金を稼ぐ”ことが、汚いことだと、美景さんはきっと潜在意識で思ってるからそんな言い方になるんじゃないですか?

確かに、キャバクラ“なんて”という感じで…夜の店で働く人達を下に見る風潮は、確かにあります。でもその流れを作っているのは、主にその店に通ってくる男性客なんです」

「ほんっとそれ……!私もちょっとキャバでバイトしてたこともあるし、ポールダンスの店でも、そんなこと言ってくる客いるよ。

“こんな下品な店で働くなんて、親が泣くよ”とかっていいながら雑に扱ってくるの。こっちは必死で生きてんだよ。そんな発言するやつらの方が、よっぽど下品だし、だったら店にくるんじゃねーよ、って感じ」

ルビーの怒りに、ともみが頷く。

「必死で生きている、必死で働いている人達の職業を、蔑む権利なんて誰にもないはずなんです。それがたとえ——本人であっても。美景さんが自分をバカにするってことは、仲間として働いてきた女の子たちのこともバカにするってことになるんじゃないかなって思うんですけど」

美景の目が見開かれ、そのまま固まった。

「愛人だった過去を自分で否定するってことも、今更もう無駄だと思うんですよね。確かに今回の美景さんの——愛人契約っていう手段は、社会的には褒められたものじゃないですし、後悔もあるでしょう。

でも、自分を“汚れた女”だと自分で罰したところで、その事実からは逃げられない。ならば、正々堂々と——というのは無理かもしれないですけど、世間がどんなに美景さんを否定したとしても、せめて美景さんだけは、自分を貶めないであげられませんか?

度を過ぎた自虐は、その人からいろんなものを奪ってしまいますから。自信はもちろん…頑張る力、諦めない思い、そして未来への期待も…」

ともみは言葉を止めなかった。

「人生はきれいごとだけでは生きていけません。時に手段を選ばず貪欲になるのが人間でしょう。

確かに美景さんは挫折もしたし、間違えたのかもしれない。でも大切なことは、美景さんの人生は…美景さんの物語は、まだ結末を迎えていなくて、お話の途中だということなんですよ。

物語は途中で判断するものではないでしょう?最初は負け続けの展開でも、最後に成功すれば、それはサクセスストーリーになる。だから諦めるにはまだ早いです。

サクセスストーリーには、敵もアクシデントも、思わぬ展開もつきものですから。美景さんの場合、敵は脅してくる男と世間の野次馬たち。そして思わぬ展開は、プロポーズ、ってとこですかね。

敵の攻略方法とプロポーズへの対応については、私から提案があるんですけど…聞いて頂けますか?」

聞く聞く~!聞いちゃいま―すっ!とテンション高く答えたのはもちろん——美景ではなくルビーだった。


▶前回:外から見たらセレブ夫婦だけど、結婚生活が破綻して10年経っても離婚しないワケ

▶1話目はこちら:「割り切った関係でいい」そう思っていたが、別れ際に寂しくなる27歳女の憂鬱

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この記事へのコメント

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No Name
キャバクラなんて....とか自分の過去を責めてると同時に、夜のお仕事してる女性全員をバカにしてる。
確かにともみの言う通りだわ。
2025/07/22 05:3622Comment Icon3
No Name
あんまり応援出来ないや、理想も見栄も含めて一度全部失って一からやり直したらどうだろう?
いい商品作ってるなら一旦顧客は離れても徐々に戻ってくる。
2025/07/22 06:1315Comment Icon1
No Name
美景さんの努力はもちろん理解できます。ただ世間からの目を気にし過ぎて女性起業家としてこう思われたいとかそういう「理想」が高くなり過ぎていたのは事実ですよね。
2025/07/22 06:0213Comment Icon1
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TOUGH COOKIES

港区・西麻布で密かにウワサになっているBARがある。
その名も“TOUGH COOKIES(タフクッキーズ)”。

女性客しか入れず、看板もない、アクセス方法も明かされていないナゾ多き店だが

その店にたどり着くことができた女性は、“人生を変えることができる”のだという。

心が壊れてしまいそうな夜。
踏み出す勇気が欲しい夜。

そんな夜には、ぜひ
BAR TOUGH COOKIESへ。

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