美景は、起業した頃からの経緯を話し始めた。
「くだらないこだわり、って言われても、私はどうしても自分の力だけで起業したかった。水商売と言われる職種から女が起業すると、どうせパトロンがいるんだろうって言われる。それは絶対にいやだったから」
それは水商売に限ったことではないとともみは思った。若い女性の起業家が成功すると、自分の力だけではないはずだと勘ぐられ、噂される風潮は今でも消えていない。
「実際に、私の夢が起業だって知ったら、出資しようかって言ってきたお客さんも、何人かいました。でもみんな、“お気に入りの女のお遊びに付き合ってやる”って感じの軽いノリで。“失敗してもまた店に戻ってくればいいんだから”とかも言われましたし。
ああ、やっぱりそんなレベルにしか思われてないんだなって。で、なめられてたまるか、ってなっちゃったんですよね」
こうして美景は、化粧品を作りたいという夢を抱いてから、約3年で1,500万円近くを貯め、誰にも頼らず起業した。
店を辞めるときの美景は、SNSのフォロワーは40万人を超える人気者となっていた。
“酔っ払い客を撃退した動画”が拡散されて以来、一気にフォロワーが増えた美景の知名度を利用しようと、勤務先のキャバクラのSNSで『美景姐さんのお悩み相談~一問一答~』という企画が始まり、それがバズったからだ。
店で一緒に働く女の子たちやフォロワーたちから届いた悩みに美景が答えていく、というシンプルな企画だったが、媚びずにサバサバと“お悩みをぶった切っていく”という“ストロングスタイル”が受けて、動画は切り抜かれ拡散し、女性ファンが増え続けたのだ。
そして店を辞め起業したあと、商品の開発途中でPRのために行ったある日のインスタライブが、美景の今のキャラ——“自力で夢を叶えた女社長”という確立させることになった。
『私も今キャバクラで働いていますが、将来、自分のパン屋さんを開きたいという夢があります。でも、キャバクラの女が水商売以外で起業しても成功するわけないってばかにされたりもして…やっぱり、支援者がいないと無理なんでしょうか?』
美景のファンだという女性の質問に、美景は、自分には支援者はおらず、全て自己資金で起業したと答えた。
「資金を出してくれるって人もいたよ。でも私はどうしても、自分の夢は自分の力で叶えたくて。起業と開発にかかる金額を調べて、1,500万円を貯めた。私は超売れっ子キャバ嬢ってわけじゃなくて、店ではベスト5に入るかはいらないかってポジションにいたけど、一切贅沢せずに生活を切り詰めたら、なんとか貯まったって感じ。
実際にはじめてみると、もちろん開発の失敗も苦労もあるけど、ここまで本気になれるのは、人生をかけて自己資金を投入しているからこそだと思う。だから、あなたも一緒に頑張ろう。何か悩んだら私にDMして。わかることなら相談にのるし、夢は絶対に諦めちゃダメ」
このライブをきっかけに美景には、ファンを超えた“熱烈な信者”が増えた。美景への憧れから、美景と一緒に働きたいと志願し、雇う余裕がないと断られ続けても諦めず、今では実際に社員となり美景を支えている女性たちもいる。
1年以上の期間をかけて、ようやく美景が納得のいく最初の商品——“クレンジング美容液”の処方が完成し、まず1つ目の工場でクレンジング液の原液が製造された。
その原液が、2つ目の工場へと引き渡され、瓶詰が行われあとは出荷を待つのみ、というところまできて——販売直前の最終検品で思いもよらぬ事態が起こる。
クレンジング液に『白い繊維状の異物』が混入していることが確認されてしまったのだ。
調査の結果、瓶詰を行った工場の従業員の衛生管理に問題が発覚。従業員が防護服を着用せずに作業をしていた記録も見つかったことから、その工場で瓶詰された製品の「安全性を保証できない」と判断され、全てのクレンジング美容液が廃棄処分となった。
工場側は、新たな容器の手配と再瓶詰には対応するが、契約上、別工場で製造された原液については保証の対象外とされていた。つまり美景は、また原液をゼロから作らなければならなくなったのだ。
その時点で美景の資金はほぼ尽きていた。絶対にあきらめたくないと、自治体の専門家にも相談し、補助金を申請することになったが、受けられず。銀行、そして信用金庫や公庫にも実績のなさから、融資を断られてしまったという。
「そんな時、キャバクラのときのお客さんだった香川さんと…偶然会って」
「香川さん、っていうのが脅迫してきた男ですか?」
「はい」
となれば、偶然かどうか怪しいものだと思ったけれど、ともみは口にしなかった。
「彼はいくつも事業を成功させた人でもあったし、他のお客さんのように私が起業する夢があるってことも茶化したりしない紳士的な人だったから。つい…今の状況を話して、相談してしまったんです」
そして提案されたのだという。ずっと好きだった、と。僕と付き合ってくれるのなら、エンジェル投資家という形をとり、必要な額を出資しようと。付き合うと言えば聞こえはいいが、香川は既婚者で——“愛人契約”の提案だった。
「その提案にムカついたし、断って帰りました。また資金を貯めてやり直せばいいのだと思い、また店で働き始めました。
でもまた資金を貯めるのに、2年がかかるのか…と不安になってしまって。
その間に、私たちが開発したクレンジングと同じような商品が、他のブランドから出てしまうかもしれないという焦りが生まれました。画期的なものが手に取りやすい値段で作れていただけに、誰かに先を越されるのは悔しかった。
自分の夢が誰かに奪われて消えてしまうようで、どんどん焦りが大きくなって——結局、もう一度香川さんに会ってみようと…」
香川はいくつものスタートアップに出資している投資家で、すでに契約書を作ってきていた。
「美景ちゃんが決断してくれたら——こんな感じで投資するよ」
そう言って香川は美景に内容を説明した。契約書には、返済義務なし、収益分配なし、経営への関与なしと明記され、“純粋な事業出資”であることがまとめられていた。
美景はその場で決断できず、その契約書を持ち帰り、相談を続けていた自治体のアドバイザーに見せた。すると、「これなら投資として全く問題なくなりたちます。よかったですね!」と喜ばれてしまったのだという。
「彼はまさか愛人契約との引き換えだとは、思ってもいないからね」と美景は力なく笑った。
「クラファンとかにすればよかったじゃん。美景さんのファンは沢山いたんだから、正直に話せばきっと、支援者だって集まったんじゃないかな」
気遣うような優しい口調で聞いたルビーに、そうなんだけどね…と美景が呟いた。
「…怖かったんだと思う。自治体の人にも提案されたけど、私の成功を信じている人達に、自分の失敗をさらけ出すなんてできない、と思っちゃったの。
彼女たちが望んでいる“兵頭美景像”が崩れるのが怖くて…ほんとに情けないんだけどさ」
ルビーは納得がいかないという顔をしていたが、ともみには理解できる気がした。
強くて憧れの女性として慕われ、祀り上げられていく中で、その期待に応え続けることに必死になり、“みんなの理想像としての自分”を崩せなくなってしまった、美景の真面目さと弱さが。
「それで結局…受けることにしたんですね。香川さんの提案を」
この記事へのコメント
確かにともみの言う通りだわ。
いい商品作ってるなら一旦顧客は離れても徐々に戻ってくる。