「ほんと、ありがとうね。でも」
私は、博俊よりも深く頭を下げた。
「確かに今の彼とは、思うようにいかない部分も多いよ。でも、ごめん。彼のこと、時間をかけてでもあきらめたくなくて」
言いながら、私は自分の感情をなぞる。結局、蒼人のことが――大好きなのだ。
若いのに物知りなところ。仕事終わりに料理を作って待ってくれるところ。私がしんどいときにふと抱きしめてくれるところ。
蒼人は、私の毎日に、素朴だけれど特別な瞬間をくれている。
― そんな蒼人と結婚したいんだ。やっぱり、失いたくない。
ときには、結婚に焦るあまり、「してくれるなら誰でも」モードに入るときもある。
でも、実際のところは蒼人にこだわりたい。そんな本音が、思わぬかたちで浮き彫りになった。
私は博俊にもう一度頭を下げると、急いでタクシーに乗り込んだ。
◆
翌日の20時過ぎ。
私は、昨日博俊と過ごしたバーから程近い、新橋の和食居酒屋にいた。
結局昨日は、私が帰ったらもう蒼人は寝ていて、うわさの真相を聞けなかった。
だから「今日こそは」と思っていたら、偶然、蒼人から「ご飯に行こう」と誘われたのだ。
カウンター席で横に座っている蒼人が、出汁巻き卵やトマトサラダ、天ぷらを丁寧に取り分けてくれる。
そして1杯目のビールがなくなる頃、彼はピタリと箸を止めた。
「あのさ」
「ん?」
ぽつりと小さな声で蒼人は言う。
「実は一昨日、人事部の先輩に誘われて、社内合コンに行っちゃった」
「…え」
「ごめんなさい」
驚いた。まさか自分から言い出すなんて、思わなかったからだ。
「本当にごめんなさい。断りたかったけど、立場的にどうしても断れなくて。でも、行ってみたら全然楽しくなかった」
気まずそうな彼に、胸の奥がきゅっとなる。
「そう。…話してくれてありがとう」
「…怒らないの?」
「うん。でも、もう行かないでね」
すると、蒼人は困ったような表情をする。そして、予想外のことを言うのだった。
「菜穂。ひとつ、提案があって」
「なに?」
「社内で、菜穂と付き合ってるって言ってもいい?俺、言いたいんだ」
― 急になに?
「そうじゃないと、うちの部の先輩たちに女の子紹介されちゃうから。そういうのキッパリと断るのが、苦手で…。嫌かな?」
「嫌ってことはないけど…」
迷ったが、まっすぐな彼の目に、私は反射的にうなずいてしまう。
場合によっては、これで一歩、結婚に近づけるかもしれない――そんな淡い期待が、心にふわりと灯った。
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▶NEXT:7月16日 水曜更新予定
社内恋愛を公言した結果…。うまくいくはずが、逆効果に――?
この記事へのコメント
特に “仕事終わりに料理作って待っててくれるところ” これは元カレとダメになる時、文句言ってたね。最初は尽くしてくれるから嬉しいけど段々それが薄れてくると菜穂は不信感を募らせるよね。今はいいけど彼が多忙な部署に異動するとか将来起業するとか、早く帰宅し夕飯作りが出来なくなったら、また菜穂は愛されてないと感じるんじゃ?彼女は何かしてくれるから好きと思うタイプで、好...続きを見るきだから与える人ではない。