「この前の展示会は久しぶりにすごく良かったんですよ。ドレープの使い方が新鮮で。ドレープって生地によっては服の印象が重たくなるんですけど、その生地も絶妙に良くて。
“風に抗わない線”というコンセプトで作られてたんですけど、永井さんが、寒い冬の日に歩いていたら突然春風が吹いて…その時にいきなり思いついたらしくて。永井さん自身、このコンセプトを自分の第二章の幕開けにします、って言ってました。
今までの路線とは全く違うけど、すごく優しいアイディアで今の時代感に合ってるし、まるで生まれ変わったみたいにバージョンアップされたねってみんなで話してたんですよ。
元々は、“俺の服はこれだ!わかる人だけ着ればいい”っていう…良い意味でも悪い意味でも着る人を選ぶブランドだったんですけど、そこから脱皮できてる感じがして、これからの可能性も見えたっていうか。来シーズンも楽しみになったんです」
デザインががらりと変わった。盗作騒ぎのあった会社のデザイナーのデザインが、まるで生まれ変わったようにがらりと。
スタイリストの話を聞いて光江は、デザインは桃子の案なのだろうと確信に至った。だが桃子は永井のアシスタントだ。法的には永井が桃子のデザインで服を作っていても問題がないだろう。ただし大切なのは。
― 道義的な…人として正しいやり方をしたかどうか。
たとえ職務的にも法的にも問題がなかろうと、桃子が“デザインを奪われ、盗まれた”と感じるのなら、そこには必ず理由があるはずだ。
― 一時代を築いたという自負があるヤツ程、質が悪いんだよねぇ。
光江は永井のように、過去の栄光にすがり、自分の才能の枯渇に気がつきながらも認められない大人を多く見てきた。買収を拒むのも、売れなくなった落ち目のブランドであることを世間にさらしたくないからだろう。
そのプライドのために自分だけが潰れるならいい。過去の栄光と心中するのは勝手だ。けれど永井は、若い才能を巻き込んだ。それが光江はどうにも気に入らなかった。
「桃子にアイディアを出してもらい、それを自分が服にした」と発表しても、永井の評判にそれほどの傷はつかなかったはずだ。むしろ、永井の会社のデザインチームでは、きちんと新しい才能を育てることができるのだな、と対外的な評価が上がったかもしれない。
桃子の案が会社のものだと主張するのなら、なおさらそうすべきだった。それなのに永井はあくまでも“自分だけの案”として発表し、桃子の気配を完全に消し去った。それはきっと彼女のアイディアを自分の功績にしたかったというだけではなく。
― 桃子さんの才能に嫉妬して恐れたんだろうねぇ。
新たな才能の出現に、自分が古い存在になることを恐れ、その才能が花開く前に摘む。そうやって狡猾でプライドの高い大人たちに搾取され潰されていく若者たちを、光江は数多く見てきた。
さらに永井は周囲に、こんなことを言っていたという。
「水原さん(桃子)のこと、ちゃんと育ててあげたくて特別に指導時間を作ってたんだけど…それが彼女を勘違いさせちゃうなんて思いもしなくて。ちゃんと一線は引いてたつもりだったんだけど、彼女、周りが見えなくなるタイプだったみたいでさ。
オレも思わせぶりになっちゃってたなら悪かったな、って反省はしてるんだけど…」
こうして桃子は、永井に一方的に恋した思い込みの激しい危険人物、になり、そのウワサは今も広がり続けているのだという。
― さあともみ、どうする?これは、恋だけじゃなく…彼女の尊厳の闘いでもあるからね。
光江は調べた情報を何かあった時のためにと、ともみにではなくルビーに渡してあった。
なぜなら、もしともみがこの情報を先に知れば、“いつものともみらしく”客観的に冷静に男をさばこうとするだろう。実際に裁判を起こすためのアドバイスをする光景すら簡単に想像できる。でも。
― 真っ当な方法だけで裁いても、きっと彼女は救われない。
最初から正解だと分かっている道はこの世にはない。だからこそ失敗も後悔も受け入れて、自分が進むこの道を正解にすると信じて歩くことができるなら…。
― 自分の人生を他人のせいにしたことがないアンタなら、きっと大丈夫さ。
ともみが、TOUGH COOKIEという店名を選び、自分が最後にSを足した日のことを思い出していた光江に、さっきからニヤニヤしてて怖いですよ、ボス、とミチがボソッと突っ込んだ。
◆
Customer3:恋人だと思っていた男に人生を壊されかけている水原桃子(29歳)
「桃子さん、あなたはまだ、彼のことを嫌いになりきれていないんですね」
思いもよらなかったともみのその言葉に、桃子はハッと固まった。
「ゆっくり聞かせてください。桃子さんがなぜ彼を嫌いになりきれないのか。彼との…恋の思い出を教えてください。誰にどう思われるとかどうでもいいし、気持ちが混乱したままなら、それをそのまま話してくれてもいい。とにかく桃子さんの本心を聞きたいです」
涙はさらに止まらなくなり、桃子はついにしゃくりあげてしまった。嗚咽を続ける背中を撫で続けてくれたルビーの手の温もりに甘え続け、ようやくすみませんと言葉を発せるまでに落ち着いて顔を上げると、新しいおしぼりをともみからそっと手渡された。
こんなに泣いてしまうなんて恥ずかしいともう一度謝り、一口水を飲むと、ふうっと息を吐いてから桃子は話しはじめた。
「彼に最初にデザインを認めてもらえた時、本当にうれしかったんです」
「それは、さっきの“風に抗わない線”というコンセプトの時ですか?」
「はい。桃子には才能がある、オレにその才能を現実化させて欲しいって。私のスケッチを見る熱のこもった目も、私への言葉に感動とか尊敬のような響きが混じったことも、全部幸せで。
だから最初は…桃ちゃんのデザインがもっとみたい、スケッチを預からせて欲しい、インスピレーションにしたいからって言われた時も、彼の役に立てるならってむしろうれしくて」
渡しちゃったんだ、とつぶやいたルビーの言葉に、もう先程のような棘は含まれていなかった。
この記事へのコメント
恋してた日々を否定したくない気持ちは勿論理解出来るけど、そこに執着するのも辛いだけだから。愚かだった自分を認めて出来る限りの復讐をしたらスッキリするかも。 ルビーの提案は光江さんが考えた事かもね! 早く続きを読みたい....
永井は寒い冬の日に歩いていたら突然春風が吹いてその時にいきなり思いついた って。無理あり過ぎ。もはやそれ春風じゃなくて自動ドアが開いた時とかに出た暖房のエアーじゃない? 俺の服を分かる人だけ着ればいいとかちゃんちゃ...続きを見るらおかしい。