
~「家族」を描き続けたからこそ、映画の先に見えてきたものがある~
映画や万博のほかにも、できることを探し続ける
金丸:『朝が来る』のあとに、東京オリンピックの映画も監督されましたね。開催が1年延期になったし、大変だったでしょう。
河瀨:これまでの記録映画と違うのは、史上初の無観客でのオリンピックを記録できたことです。スポーツ選手をメインにした「SIDE:A」と、それを支えた組織委員会、医療従事者、ボランティアが主体になった「SIDE:B」。どちらも見ていただきたいですね。
金丸:ところで、いま、制作中の映画はあるんですか?
河瀨:フランスのプロデューサーと初めてのフランス映画というか、「フランス国籍」になる映画を作っています。世間でいう「超大作」ではありませんが、私の中では結構大きな映画です。それはそれでたくさんの人たちに見ていただきたいんですけど、一方で、もう少し手が届くような作品をたくさん作りたいという気持ちもあります。最近、「あと何本撮れるかな」って考えちゃうんですよ。
金丸:そうはおっしゃいますが、河瀨さん、まだお若いでしょう。
河瀨:もうすぐ56歳です。オリンピックの記録映画は3年半かかったし、3年に1本となると数が限られるなと。映像を通してもっとたくさんの人たちと関わりたいし、映画を通じて、ネガティブな人生でも自分でポジティブに変えていけるよ、人生のヒントが映画にはあるよ、ということを伝えたいんです。
金丸:ネガティブをポジティブに。今日お話ししたからこそ、ものすごく説得力を感じます。
河瀨:そういうのを伝えたくて、2010年から地元の奈良で「なら国際映画祭」をやっています。
金丸:それに、舞台は大阪ですが、万博も始まりますね。
河瀨:万博にもぜひ来てください。私が担当するパビリオンは「Dialogue Theater ‒いのちのあかし‒」です。名前のとおり、対話をテーマにしています。これ、建物自体もすごくいいんですよ。奈良と京都の廃校になった校舎を全部解体して、新しい建造物を3棟建てました。
金丸:豊かな歴史の中で育った河瀨さんらしい建物ですね。
河瀨:解体のときも、私、感動したんですよ。100年くらい前の大工さんが、「自分らの子どもの学び舎は自分らで作ろう」って自分の山から木を切ってきて、製材して、設計図もないまま、めちゃくちゃ素晴らしい校舎を建てたんです。
金丸:式年遷宮じゃないけど、それをいまの大工さんが見たら、学ぶことばかりでしょうね。
河瀨:今回は、日の目を見る機会があったけど、継承されずに朽ちていくものもたくさんあると思います。今回のパビリオンは万博が終われば解体されますが、どこかに移築して活用できないか、いま模索しています。
金丸:実現できれば、象徴的な場所が生まれますね。
河瀨:生きにくさを感じてる人って、たくさんいるじゃないですか。そういう人を楽にできるようなことを展開できたらいいですね。諸外国に比べて、日本は女性が活躍できる場所が全然少ないし、労働環境も悪いことも。今度の映画は医療業界が舞台ですが、みんな疲弊しています。だけどみんな優しいから、自分を犠牲にして「やらなきゃ」って思う。
金丸:でもそれじゃあ、心身は長くもたないし、業界全体にいいことはありません。
河瀨:いまは映画を通じてですが、もう少し直接的に、日本をグローバルスタンダードに近づけるようなことにも取り組みたいです。そのほうが、次の世代の子たちがきっと生きやすくなるはずですから。
金丸:河瀨さんであれば、今後さらにフィールドを切り拓きながら、多くの人を勇気づけることがきっとできるでしょう。映画も万博も、その後のご活躍も楽しみにしています。今日は本当にありがとうございました。