仲通りを抜けた譲司らしき男性は浮世小路へと進んでいく。話しかけそびれたさくらは、ためらいながらも背中を追った。
福徳の森と呼ばれるイベントスペースを通り、鳥居をくぐる。気がつけばさくらは彼について、コレド室町に隣接する福徳神社へと足を踏み入れていた。
手水舎の前まで来た譲司は、キョロキョロと中を見回す。そして、「そうそう、たしかここに…」と独り言を呟きながら、ふいに後ろを振り返った。
必然的に、後ろにいたさくらと顔を合わせる。
「え…?さくら!?」
「やっぱり譲司だ。…久しぶり」
突然の再会。
記憶の中の幼馴染みの残像と、今自分の目の前にいる人物の姿を重ね合わせて確かめるかのように、ふたりはゆっくりと見つめ合う。
不思議と時の流れは感じない。さくらは、まるで昨日も譲司と一緒にいたかのような自然な安心感を覚えた。
「驚いたな。去年ここに立ち寄った時に花手水が綺麗で、また何かあったらいいなと期待して来たんだ」
「花手水?」
「そう。手水舎の水鉢に季節の花を浮かべていることがあるんだ。花の季節には早かったことに今気がついたけど、…思いがけず、さくらに会った」
「私も驚いたよ。譲司、いつから東京にいたの?」
「しばらく会ってないもんな。もし時間あったら、軽く夕食に付き合わないか」
「そうだね。10数年分の、話を聞きたいな」
大人になって、初めての再会。
信じられないような気持ちを互いに抱えつつ、ふたりはすぐそばにあるフレンチレストラン『LA BONNE TABLE』に入った。
「さくらは、元気にしてた?」
「うん。いろいろあったけど、元気だよ。譲司は?」
幼い頃から思春期までを、共に生きた譲司とさくら。
顔を合わせなかった10数年の時間を感じさせないほど、自然で穏やかな空気感をふたりは感じていた。
◆
3歳でプリスクールに入学してから、高校卒業までの15年間。
15年もの長い間“幼馴染み”という特別枠に収まっていたさくらと譲司は、互いを異性として意識することなく、不思議なほどに仲の良いまま成長した。
転機が訪れたのは、高校最後の秋。
譲司のアメフト部引退試合を観に行った日の出来事だった。
「さくらのこと、好きだ。付き合ってほしい」
そう告白したのは、譲司のチームメイトである瑛太だった。
― 付き合うということは、瑛太と、譲司よりも親密になるということ…。
譲司以外の男性と、親密になる自分。
自分以外の女性と、親密になる譲司。
そのどちらも、想像するだけで耐え難いことに、さくらはこのとき初めて気がついた。
その日の夜、譲司の家を訪ねたさくらは、そのことを伝えるつもりでいた。
「譲司。今日は試合お疲れさま」
「うん、応援に来てくれてありがとう」
「いい試合だったよ。それでね、わたし…」
けれど、その先の言葉は言わせてもらえなかった。譲司は何かを察したように、さくらの言葉を遮ったのだ。
「さくら、聞いて。俺、春からドイツに行くんだ」
突然譲司の口から出た「ドイツ」という単語に、さくらの頭は真っ白になった。
いや、正確には突然ではなかった──さくらは何年も前から、譲司が「海外でアートを学びたい」と言っていたのをそばで聞いていた。
しかしさくらは、それは将来の展望だと思っていた。もっと大人になってからの話だ、と。
― でも、気づけば私たちはもう、大人の年齢なんだ。自分の行く先を自分で選択する時が、もう来ていたんだ。
譲司は静かにさくらを抱き寄せ、さくらはだまって譲司の肩に顔をうずめた。
◆
高校を卒業して迎えた翌春。
さくらは東京外国語大学へ進学し、譲司はアートディレクションを学びにドイツへと渡った。
あの夜、ふたりは互いの想いに気づいていた。
しかし同時に、互いに納得の上で、恋よりも自分のやりたいことを選んだ。
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