この世には、本人の力だけでどうにもならないことがある。
「生まれ」や「家柄」は、その最たるもの。
誰も傷つけず、傷つかずに生きていきたければ、決められた階層を飛び越えようなどと願わないに限る。
身の程をわきまえること。
それこそが、幸せになるための必要条件なのだから。
“普通”を嫌う女
−私、“普通”の人生じゃ嫌なの−
かつて、そう言い残して去った女の顔を、紀夫は忘れられない。
いや、違う。忘れさせてもらえない、と言ったほうが正しいか。
彼女とはもう3年以上会っていないし、すでに綺麗さっぱり未練もない。
しかし彼女…一二三薫(ひふみ・かおる)は、“普通”のサラリーマンである一ツ橋紀夫(ひとつばし・のりお)の前にも、日常的に現れる。
「それでは今日も元気に、行ってらっしゃい♡」
朝、テレビから聞こえる懐かしい声に、紀夫はついシャツを着る手を止めた。
テレビ画面には、今日もパーフェクトな笑顔をふりまくアナウンサー、一二三薫の姿がある。
立命館大学在学中からアナウンサーを目指していた薫は卒業後、関西ローカルの局アナに採用された。
当初はずいぶん泥臭い仕事をさせられ愚痴っていたことを思い出す。
しかしいつしか愚直な努力が実を結び、彼女の魅力が世間に広く知られることとなったのだ。
そして、3年前。
薫はフリーになり、東京進出を果たした。…紀夫を京都に残して。
一気に知名度を上げた薫には、今や様々な噂が飛び交っている。
最近では、ある大物政治家の息子とデートを重ねている、というネットニュースまで見かけた。
彼女は、“普通じゃない人生”を着々と突き進んでいるようだ。
凡庸なサラリーマンとして生きる紀夫とは、まるで違う人生を。
この記事へのコメント
…まさか任〇堂?