2023.06.21
SPECIAL TALK Vol.105
帰国後にぶつかった日本特有の“壁”
金丸:留学先はどちらですか?
小谷:アメリカです。サンフランシスコ近くのウォールナットクリークという小さな町に、当時、アメリカで一番とされるクラブがありました。世界一のクラブといっても過言ではないところです。
金丸:トップを目指すために厳しい環境に飛び込んで、どう感じました?上には上がいましたか?
小谷:いましたね。でも結局、アメリカでも好成績を収めることができました。
金丸:それはすごい!
小谷:「今の実可子は、ほかのどんな日本人よりも上手だよ」「日本に帰ったらすぐチャンピオンだね」「これからは国際試合でライバルだね」なんて、アメリカの仲間に言ってもらい、審判からも「素晴らしい」と声をかけられました。だから帰国後は、自信満々に演技して。結果、点数が伸びなかったんです。
金丸:えっ?伸びなかった?それはなぜ?
小谷:日本とアメリカで採点基準が違うからです。アメリカで演技していた時のように、どんなに高く跳び上がったり、派手にアピールしたり、くるくる回ったりしてもまったくダメで、日本では基本に忠実な演技じゃないと点数が出ないんです。
金丸:なんだか、「いかにも日本」という感じがします。
小谷:もともと期待されていて、演技に磨きをかけるためにアメリカでレベルの高い練習をして、選手にも審判にも認められました。だから日本に帰ってきたら、すぐ優勝できると思うじゃないですか。でも現実は違った。先生からは「日本で高い点数を取りたいんだったら、基本がちゃんとできていないとダメ」と言われて。
金丸:私なら「ふざけるな、日本の基準なんか関係ない」と思うでしょうね。
小谷:私もかなり近い気持ちでしたよ(笑)。「私は日本よりもレベルが上のアメリカで認められたのに!」って。まあ、生意気盛りでしたね。先生は「あなたはまず日本国内で勝たなきゃいけないから、何よりも基本よ」って言うけど、当時の私は素直に聞き入れられませんでした。でも、いくら私が「審査基準がおかしい」と訴えても、そんな簡単にひっくり返るわけがありません。
金丸:小谷さんにとって、初めての挫折らしい挫折ですね。
小谷:そうですね。帰国した翌年には、ロサンゼルスオリンピックの選考会が始まっていましたが、私は漏れてしまい……。憧れていたオリンピック。それをテレビの前で観て、正直、辞めたくなりました。
金丸:でも、そこで踏ん張ったからこそ前進できた。
小谷:頭に浮かんだのは、アメリカのチームメイトや家族のように接してくれた現地の人たちです。彼らの期待を裏切るわけにはいかない。だから、もう1年頑張ってみようと。先輩方の中には引退した人もいたので、「今度こそ、私が優勝する時が来た」と思ったんですが、今度は同世代の選手に抜かれてしまい。
金丸:なかなかうまくいきませんね。
小谷:結局、帰国してから優勝するまで、4年かかりました。
金丸:スポーツに限らず、日本独自の基準っていろいろな分野にありますよね。そういうとき、外に飛び出すのはひとつの手ですが、小谷さんは日本代表としてオリンピックに出たかった。そのためには、まず日本で代表に選ばれないといけない。であれば、たとえ納得のいかない基準であっても、ある意味、自分が少し大人になって、高い技術力でそのハードルを乗り越えていくしかなかったと思います。
小谷:そうですね。思い返しても、あの頃の私は若かったなあ、って。
金丸:一方で、日本はまだシンクロで金メダルを取ったことがありません。だったら、もっと世界基準を意識しないといけないのでは、と思います。「自分たちは基礎では世界一のレベルだ」と胸を張っても、結果につながらないのなら、別のアプローチを考えないといけない。
小谷:そうですね。私としては、基礎を見直す機会になったし、その時の経験が今になっても生きていると感じることはありますが。
金丸:そういう部分もあるでしょう。でも日本固有の基準にこだわっていると、その枠に押し込められないような人たち、つまり才能のある人たちは見切りをつけて、海外へ飛び出してしまいます。医者も学者も、スポーツ選手もビジネスパーソンも、さまざまな分野で優秀な人材が海外に流出するのは、本当にもったいないことです。
体を維持するための食事は練習と同じくらいハード
金丸:小谷さんはその後、挫折を乗り越えて、日本代表に選ばれました。オリンピック代表選手がどのような1日を過ごしているのか、教えていただけますか?
小谷:オリンピック前は、だいたい6時半に起きて22時に部屋に戻るまで、ずっとトレーニングです。朝起きてストレッチをしたら7時に朝食。8時から12時までは水中練習。昼食と休憩の後、14時から18時まで再び水中練習。そのあとは陸上でのトレーニングとウェイトトレーニング。夕飯を食べたら、22時まで鏡の前で振り付けを合わせる練習と、あっという間に1日が終わります。
金丸:本当にシンクロ一色の生活ですね。
小谷:トレーニングも大変ですが、私が一番苦労したのは食事でした。水中での練習時間がこれだけあると、1日4,500キロカロリーを摂取しないとやせちゃうんです。
金丸:それって、成人男性の2倍くらいですよね。そんなに食べなきゃいけないんですか?
小谷:やせて脚が細ってしまうと見栄えが悪いし、何より体が浮かなくなります。無理に手をかいて体を支えようとすると、手首に負担がかかって腱鞘炎になってしまうので。
金丸:体重を維持するのも、練習と同じくらい大切なんですね。
小谷:だから、大きなトレイに並べられたごはんを、口に流し込んでいました。女子の競泳選手の体脂肪率は、低い人だと10%くらいが多いのですが、私は当時でも21%くらいありました。
金丸:それだけハードなトレーニングに耐えて食事の努力もして、オリンピックに出場し、銅メダルを獲得されたんですね。
小谷:でもソウルの後は、バルセロナオリンピックに行ったものの補欠でした。だから、私の競技人生は挫折で終わったんです。
金丸:私は、小谷さんがイルカと一緒に泳いでいる映像が、すごく記憶に残っています。あれは選手引退後ですか?
小谷:そうですね。ソウルオリンピック後に、私の演技を見たという方から、「君をどうしても野生のイルカに会わせたい」という電話がいきなり来て。
金丸:私なら、いきなりそんなお誘いが来たら警戒します(笑)。
小谷:実は引退後、初めて関わったお仕事が、このイルカと泳ぐことでした。野生のイルカですから、いつどこに行けば会えるか分かりません。10日間くらい船で過ごしながら、イルカが遊びにくるのをひたすら待つんです。
金丸:映像を見る限り、イルカは警戒心がなさそうですが。
小谷:彼らは超音波を出して仲間とコミュニケーションを取ったり、水中に何があるのかを把握したりしています。もちろん、一緒に泳いでいる私に対しても、超音波を当てていたと思います。一緒に泳いでいると、なんだかすべてを見透かされているように感じて。だから「心を清らかにしておかなきゃ」と、いつも思っていました。
金丸:それは面白い感覚ですね。
小谷:「悪い人間だと思われたら、もう一緒に泳いでくれないかも」って(笑)。「来年も一緒に泳いでもらえるように」という思いで、子どもが生まれるまでの10年間、イルカに会いにいっていましたね。
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