交換生活 Vol.1

交換生活:婚活に疲れ果てた29歳女。年上経営者からもらうエルメスと引き換えに失った、上京当時の夢

― 葵は、元気にやってるかな…。

なんとなく寂しい気持ちを抱えて帰路につきながら、私は中嶋との会話から、妹のことを思い出していた。

とにかく東京に出たくて仕方がなかった私と違い、妹の葵は地元に残りたがっていた。

双子だからわかる。彼女も本当は、東京に強い憧れを抱いていたことを。

それなのに葵は、地元の看護学校に進んだ。その理由は、高校から付き合っていた彼氏と離れたくなかったから、と言っていた気がする。


その彼氏とは23歳という若さで結婚したものの、29歳になった葵に、子どもはまだいない。

地元にいる友達はほとんどが早々に何人も子どもを作り、家を買い、浜松の暮らしにドッシリと根を張っている。

でも葵が、その人たちと違う暮らしをしているのは、もしかしたらせめてもの抵抗なのかもしれない。

いつでも自由に羽ばたけるよう、身軽な状態でいたいという意思表示なのか――。

もちろん、そんなふうに考えているのは私だけだ。

家族は葵の不妊を疑い、友人たちは葵たちの夫婦不仲を疑った。

東京だと放っておいてくれる問題も、地方だとそうはいかないことがある。

― はぁ…。

私はつい大きくため息をついた。

「お客さま、この先はどちらでしょうか」

山手通りでタクシーの運転手に言われ、家までの道を最後まで伝えていなかったことに気づく。

「次の交差点を左でお願いします」
「かしこまりました」
「あれ、運転手さん、女性の方だったんですね」

― 全然、気づかなかった…。

助手席前の名札をちらっと見ると、柊舞香と書いてある。

「はい。お客さまは…おいくつですか?」
「私…29歳なので、もしかしたら同じくらいかもですね」

YESでもなければNOでもない。私は、誰もが傷つかない返事をする。

場の空気を壊さない。

これは、私が東京に来て一番に身につけたスキルかもしれない。

上京のキッカケなど、とりとめのない世間話をしていると、ふときかれた。

「ご出身は浜松なんですね。鰻おいしいですよね。東京は楽しいですか?」
「いえ、そうでもないです」

なぜか途中で「乗車中はウソ禁止」だなんて言わたから、私は思わず本音を口走ってしまった。

18歳のとき。あんなに憧れていた東京が、最近は楽しくない。それは紛れもない事実だった。


中学生までは、“可愛い双子ちゃん”が代名詞だった私と葵。

こっちに来るまで彼氏も途切れなかったし、他校男子に一目惚れされ、付き合ったこともある。

でも、青山学院大学に入学した途端に私の時代は幕を閉じた。

顔が可愛いだけじゃなく、ファッションもメイクもあか抜け、洗練されている子ばかり。

それに加え、親がお金持ちとだというお嬢様とは、最後まで友達にさえなれなかった。

「お客さま。大切な人生を、楽しんでくださいね」
「…。ありがとうございました」

私は、ケーキが入ったオレンジ色の紙袋を、傾かないようにそっと脇に抱えて、タクシーを降りた。

中目黒駅から徒歩13分の、ヴィンテージマンション。

給料の3分の1より少し高い家賃は、私の生活を圧迫している。

それでもこの街に咲く春の花が好きで、ここに住むことを決めたのだ。

上京する少し前に母と一緒に内見をして、直感で中目黒がいい!と言ったのを覚えている。

学生時代は仕送りをもらって、中目黒と祐天寺の間にある小さな1Kに住んでいた。

それなりにお金を稼げるようになった今。それでもこの中目黒から離れられず、学生時代よりは少し広い、30平米のマンションに移り住んだのだ。


最近は、東京でできた友達もチラホラと結婚し始めている。

私たち地方出身者にとって、東京の男性と結婚することは、グリーンカードを手にしたようなものだ。

― 桜…。

私には少し荷が重い名前だ。名前負けしているとも思う。だから、早く自分の名前にふさわしい人になりたいと思うのに、なかなかそうもいかない。

いつか、私も名前のように美しく咲き誇る日が来るのだろうか。



いつものように玄関の鍵を開け、いつものように誰もいない真っ暗闇に向かって「ただいま」とつぶやく。

「地元に帰っちゃおうかな…」

手を洗ってお風呂に入る準備をしながらそう声に出した瞬間、妹から連絡が来た。

双子だと時々こういうことが起こる。相手のことを思っていると、不思議と気持ちが通じるのだ。

しかし、葵からの連絡は意外すぎるものだった。

『葵:離婚しちゃった…』

私は、下着姿のまま慌てて葵に電話をかけた。


▶他にも:30歳を過ぎても:「生活水準は下げられない」港区にしがみつく32歳女が、副業先のバーで流した涙

▶Next:2月18日 土曜更新予定
妹の葵が離婚した理由は…?2人の生活が一変することに!?

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この記事へのコメント

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No Name
あ〜ぁ、また共感出来ない主人公の話が始まったと思って読み進めてたら、運転手が舞香でびっくり! もしかして毎回、過去連載の登場人物が出てくるのかな?だったら面白いなと。
2023/02/11 05:2470返信3件
No Name
中嶋! ピコタンあたりかなと思わせて「甘いもの好きだよね、クリスマスケーキもらったから」て🤣🤣🤣 まぁ、彼女でもない婚活に疲れた29歳にエルメスをプレゼントするおじさんもそうそういないと思うよ。
2023/02/11 05:2959返信2件
No Name
桜と葵が、自分の納得出来る人生を歩めますように。なんて言ってみましたが、まさかの柊舞香さんの登場が、一番インパクトがありました。
2023/02/11 05:4845返信1件
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