
~顔や体の悩みを解決するだけで前向きにストレス社会における整体師の使命を考える~
祖父から続く整体師の家系。当初は跡を継ぐつもりはなかったが……
金丸:早速ですが、山口さんは整体師の家系の三代目だそうですね。代々続く整体師の家系というのは、あまり聞いたことがありません。
山口:この業界でも珍しいと思います。祖父は日本でも有名な柔道家で、柔道の師範をやりながら、ほねつぎをしていました。学校の授業で、僕がふざけて祖父の紅白帯(柔道六段から八段が締める帯)を締めたら、先生がびっくりしていた思い出があります(笑)。
金丸:相当な実力者だったんですね。おじい様が始めた整骨院を、お父様が継がれたのですか?
山口:そうです。祖父は市会議員や町長(現在は市長)を務めるなど、政治の世界に行きましたが、父は整体一筋でした。
金丸:そのお父様の跡を、山口さんが継がれた?
山口:いえ、父からはいろいろと学びましたが、僕は独立開業しました。実家の整骨院は今も栃木県の足利市にあり、そちらは弟が継いでいます。
金丸:では、もともとは足利市のお生まれなんですね。
山口:ひいおじいさんまでは四国だったそうです。板垣退助とともに自由民権運動を推し進めていたら、国を追われ足利市にたどり着いたそうです。
金丸:それは、すごくドラマチックな話ですね。
山口:だから実家には、板垣退助の本がたくさんありますよ。
金丸:お父様はどんな方なのでしょう?
山口:日本で初めてアメリカからカイロプラクティックを取り入れ、日本人向けにアレンジしたのが父です。画期的な治療をするということで、この業界では有名人でした。
金丸:おじい様の跡を継いだにとどまらず、古典的なほねつぎに海外の技術を取り入れて、整体をアップデートされたんですね。
山口:東京から通ってくる方も少なくなかったし、東北や関西の遠方からも来ていました。
金丸:そんなお父様を間近で見ていたから、山口さんも整体師になろうと?
山口:いえいえ。子どもの頃は興味なかったですね。怪我をすることもなく、治療を受ける機会もなかったので。でも、スポーツは好きでした。
金丸:何をされていたのですか?
山口:父に連れられて、子どもの頃からスキーをやっていました。それに、中学のときは陸上の走り高跳びを。でも個人でひたすら練習するのが苦痛になって、高校ではバスケットボールに転向しました。月並みですが、ナイキの「エアジョーダン」に憧れて、「あの靴を履きたい」と思ったのがきっかけです。
金丸:柔道整復師でありながら柔道とは、かけ離れた競技をされていたんですね。
山口:当時は整体師になるとか、家業を継ぐとかいう意識がなかったですからね。スポーツが好きだったので、マネジメントやスポーツにかかわる仕事がしたいと思っていました。
金丸:ところで、山口さんは何年生まれですか?
山口:1969年です。
金丸:ということは、20歳の頃はバブル絶頂期ですね。
山口:そうです。派手な時代でしたよね。
金丸:そう聞くと、山口さん、“ジュリアナ”にいそうな感じに見えてきました(笑)。