「そ、そんなこと急に言われても、僕の仕事は出張や会食もあるし、エレンを置いて出かけるわけにもいかないし…」
滝口はもごもごと断る口実を並べる。だが、そんなこと想定していたかのように、エリがそれを遮った。
「まさか、6年間会っていなかった娘が目の前に現れて困ってないよね?」
滝口はエリとエレン、2人の顔を交互に見て、ぎこちなく笑った。
「ま、まさか…。嬉しいよ。とても。ただいきなり言われても、僕が住んでいるのは渋谷だし、教育的にもいい環境じゃない。ママと海外に行ったほうが英語の勉強にもなるしいいんじゃないかな?」
慌てて言い訳がましい口実を並べ終えると、口をつぐむほかない。一方、エリもため息をついて押し黙ってしまった。
その沈黙を破ったのは、エレンだ。
「せっかくパパに会えたと思ったのに…。私、今日ここに来るんじゃなかった」
さっきまでの元気はどこへ行ったやら。肩を落とし、わずかに目を潤ませていた。
「エレン、ごめんね…嫌な思いをさせて」
エリは申し訳なさそうに謝り、エレンの肩に手をまわした。そんな2人を目の前に、滝口は実に居心地が悪い。
同居を了承すれば自分が困るのは目に見えているし、断ればお互いわだかまりとなる。だが、長年一切の関わりを持たずにきた娘に、何らかの形で償いたいという気持ちがわずかにあった。
「わかったよ…。ママが留学している間、エレンはうちに住めばいい」
渋々とそう答えた途端、2人の顔がパッと明るくなった。
「じゃあ、さっそく転校の手続きをしなくちゃね」
エリがそう言うと、示し合わせたかのようにエレンが続けた。
「東京と鎌倉ってそんなに離れてないから、鎌倉の友達も遊びに来れるよね」
エレンも、憧れの渋谷に住めると喜んでいる。
2人の策にまんまと嵌められた感はあるが、もはやひっくり返すことはできないだろう。
だが、どうしたものか…と考える。娘の部屋を整え、転校の手続きや制服の注文…とそれだけでも大仕事なのに、加えて仕事の会食や、出張だってあるのだ。
4年前に友人と起業し、仕事はかなり順調にいっている。
今一番大きな事業は、中目黒や代々木上原といった個性的な街に焦点をあてた、シェアオフィスの運営だ。古民家をリフォームし、カフェと一体型経営にしたことが受け、着々と店舗と会員数を増やしていた。
― 仕事は調整すればなんとかなるが…家をどうにかしないとな…。
滝口は脳内でこれから先の生活をシミュレーションし、ため息をついた。
「今日これからパパの家、行ってもいい?ここから近いんでしょ?」
唐突にエレンが言った。
― いや、今日は困る…。絶対に。
娘との生活、仕事の調整のほかに、実はもう一つ、滝口にはやらねばならないことがあった。
「い、いや。今日はダメ。これから仕事なんだよ」
やんわりと断ると、「今日、日曜日なのに?」とエレンが訝しげに尋ねた。滝口は、それには答えず、エリに向かって言った。
「いろいろ準備もあるから、1ヶ月待ってくれないかな」
エリは、フフフと笑って言った。
「家の中、エレンに見られたくないことでもあるの?なーんてね」
元妻らしい鋭い指摘に、滝口は口ごもった。
そして、どうにか「いや、そんなことはない」と答えつつも、心中は穏やかではなかった。
― 困ったな…どうしよう。
離婚から6年の月日を経た今、滝口には2人には知られたくない日常がある。
25歳の恋人の存在が、エレンとの同居を躊躇させているとは、2人には知る由もなかった。
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▶NEXT:5月14日 土曜更新予定
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この記事へのコメント
相談するのではなく、勝手に決めてきて、その日から娘を押し付けようとするなんて。