「久しぶりだね。元気にしてるの?君も、エレンも」
かつては、お互い負の感情を抱きながら離婚をした。だが、時を経て自分の口からこうした言葉が出てきたことに、滝口自身が驚いていた。
「元気よ。ところでお願いがあって電話したの」
エリの「お願いがあって」の部分だけ耳に残り、滝口は少し身構える。
― お願い?金か?まさかヨリを戻したいなんてことはないだろうけど…。
そして、「僕にできることであれば…」と返事しようとした時だ。
それを遮るようにエリが早口に発したことは、滝口のすべての想像を裏切るものだった。
「エレンを引き取って」
突然のことに思考が追いつかないが、幸い動揺はしていない。一瞬あたりを気にしてから、小声で言った。
「いきなり、何言ってるんだ?そんなの無理に決まってるだろ」
◆
翌週の日曜日。セルリアンタワーのホテルラウンジで、滝口はエリと待ち合わせた。
「映画に出てくるお茶の時間みたい。美味しそう!」
エレンは美しいケーキを前に嬉しそうにはしゃいでいる。
先週のエリとの電話では「とりあえず来週、東京に行くから。行って事情を話すから」と切られてしまい、まだ詳しい事情は聞いていない。
6年前、まだ母親にまとわりついて離れない小さな女の子だったエレンは、小学5年生。しばらくみない間に、すっかり少女に成長していた。
緩やかにカールした茶色がかったロングヘアに、色白でひょろりと長身。6年間一度も会わなかった父親を躊躇なく「パパ」と呼んでくれる。
― エリそっくりの、綺麗な女の子になったな…。
2人が東京に来た理由はさておき、滝口はエレンと会えたことが嬉しかった。
「仕事、うまくいってそうで安心したわ」
目の前にいる元妻のエリも、出会ってからの歳月を感じさせないほどの変わらない美しさだ。
― 僕と彼女が出会ったのは、もう遥か昔なのに…。
2人が出会ったのは15年前。滝口が24歳、エリが23歳の時だった。当時、不動産投資会社に勤めていた滝口は、友人の紹介で会ったエリに一目惚れ。順調に交際に発展した。
数年付き合ったのち、エレンを授かり結婚。滝口が26歳の時だ。
しかし、その当時は入社4年目。仕事とは何かがようやくわかり始め、毎日が楽しくて仕方がなかった。その後も多忙を極め、育児の一切をエリに任せて仕事に没頭した。
仕事に比重を置いた生活はその後も当たり前のように続き、少しずつ2人の心の溝が広がっていった。
そしてエレンが幼稚園に上がった頃、滝口は同じ会社に勤める2つ年上の女性と関係を持つようになった。
家庭には持ち込めない仕事のストレスを彼女に吐くことで、滝口は仕事と家庭を行き来する日常の均衡を保っていたのだ。
頭の奥深くに眠っていた記憶が蘇り、滝口は遠い目で2人を見た。
「こうしてエレンと、君とまた3人で会う日が来るなんて、夢のようだよ」
その言葉に、エリは「私も予定外よ」と小さく笑った。
「もう会うつもりはなかったけれど」
エリは冷めた様子でそう付け加えた。
2人が離婚に至った理由は簡単で、当時の滝口の浮気がエリに知られてしまったためだ。滝口の弁解や謝罪もまったく無意味で、エリは幼いエレンを連れ、実家のある鎌倉に戻ってしまった。
間もなく一度だけ彼女の両親を交えて話し合った後、協議離婚。少しほとぼりが冷めたら、娘との面会交流などの約束を取りつけようと思っていた。
だがエリは、妻と子を放ったらかし、好きなことばかりしていた滝口を許すことはなかった。以来、滝口は娘に会うことも叶わず、今に至る。
「そう、電話で話したお願いだけど」
エリはカップのお茶を一口含むと、言いにくそうに切り出した。
「私、アメリカに留学しようと思うの。イメージコンサルタントの勉強をしに。エレンを引き取ってほしいのよ」
滝口は2人を前に、即答することも断ることもできない。
「今は実家の近くに住んでいるんだけど、両親も来年には父の実家の大分に戻るって言い出して…」
エリがそこまで言った時、娘のエレンが横から口を挟んだ。
「私、東京で可愛い制服の私立の中学校通ってみたい!」
この記事へのコメント
相談するのではなく、勝手に決めてきて、その日から娘を押し付けようとするなんて。