「アキヒトさんですよね!」
14時。明人はコンラッド東京のラウンジ『トゥエンティエイト』で、メッセージを送って来た女性“マイ”と待ち合わせをした。
先に着いたのでコーヒーを飲んで待っていると、マイがハァハァと息を切らしながらやってきた。慌てて来たのか、汗だくで化粧も崩れている。
― 必死だな…。
背は低め、ふっくらとした童顔だが決して美形ではない。パグ犬という例えがしっくりくる雰囲気だ。
33歳というが、ネイビーのパンツスーツに身を包んだその姿は、一歩間違えば就活生のように見える。
そんなあか抜けなさをまとった彼女は、明人が恋愛対象として意識することはないタイプだった。
中の下といったところか。
「すみません、急いで来たもので…」
互いの自己紹介を終えた後、マイは、おもむろに明人の向いに腰を下ろした。そして、すぐスタッフを呼んだ。
「クラブハウスサンドと、ロイヤルミルクティーを頂けますか」
「え?」
「すみません…お昼、口にしていなくて。お腹ペコペコで死にそうなんです」
明人は思わず固まってしまった。その反応に、マイは恥ずかしそうに顔をクシャっとさせる。
「あ…アキヒトさんも何か召し上がりますか」
「では、チョコレートケーキを…」
「いいですね!私もデザートに食べちゃお」
マイは追加でケーキを2つ注文した。
正直、驚いた。初対面同士のデートは普通、ドリンクだけか、相手の顔色を見て注文するものだろう。
しかもここはホテルのラウンジ…。
彼女が値段を気にする素振りも見せないのはつまり、払う気が一切ないということだろう。
― 浅ましさは予想通り。だが、まさかここまでとは…。
飲食代はもちろん自分が払うつもりであったが、正直引いてしまった。
明人は、到着したクラブハウスサンドを嬉しそうに頬張るマイを冷ややかに見つめる。
その視線に気づいたマイは照れ笑いし、明人も目を逸らした。
「…ねぇ、アキヒトさん。私たち、会ったことありますよね」
マイはナプキンで口元を押さえながら、上目遣いに明人の顔を見た。
「いや、ないですよ」
古典的なテクニックに惑わされはしないという意思表示で、明人は即答する。
「そうですか?でも、アキヒトさん素敵な人だから、勘違いということはないと思います」
「…」
当然、彼女の記憶など一切ない。
それでも屈せず、マイはさらにぐいぐい距離を詰めるがごとく話しかけてきた。
だが、テンションが落ちていた明人は生返事をするのが精いっぱいだった。
― 仕事だと言って帰るか…。
明人の腕に光るランゲの文字盤は、15時を示している。お開きを切り出そうとしたその時だった。
「あっ!!」
マイが、ちらりとスマホに目をやりとっさに席を立った。
「すみません!急用ができました…!」
「は?」
「今日は楽しかったです。また機会があればよろしくお願いします」
マイは逃げるように彼の前を去っていく。明人が返事をする隙はなかった。
目の前にはキレイに平らげたサンドイッチとケーキの皿。ロイヤルミルクティーはお代わりした分もしっかり飲み干している。
嵐のようにやってきて、そして去っていった彼女にしばし呆然とする。
― まさか、食い逃げ…
いや、脈を感じられず、割り勘を恐れて逃げて行ったのかもしれない。
いずれにせよ明人は体全体が怒りで震えた。
高望み婚活女をあざ笑うために呼び寄せたにもかかわらず、こんな不快な思いをするとは…。
早くこの場を立ち去りたいと、明人はチェックを依頼する。
だが…。
「お連れの方より、既にお支払いを頂いております」
「え…?」
やって来た会計スタッフの言葉に耳を疑った。明人は、すぐに理解できない。
初対面の男の誘いに速攻で乗ってきて、互いに楽しくない時間を過ごした末に、2人分の食事代金を全額支払って帰っていった彼女。
食い逃げだったほうが、目的がはっきりしている分、まだましに思えた。
「なんなんだ、アイツは…」
怒りなのか、混乱なのか、羞恥心か。
明人はどうしようもない感情に支配され、ただただ呆然と立ちすくむだけだった―。
▶他にも:彼のお母様のプレゼントまで一緒に買いに行ったのに…。男が女を“嫁候補”から外した納得の理由
▶Next:4月27日 水曜更新予定
不可解な女の行動に募るいらだち。彼女から再びデートに誘われた明人は…
この記事へのコメント
マイ次回も出るなら思いっ切り掻き回してよ。