早足で近づくと、2人の会話が聞こえてくる。酔った様子の男は菜月に、「また食事会やろうよ」と言っていた。
― なんだ、茜の知り合いか。茜は顔が広いなあ。
茜はコロナ前、連日のように食事会をしていた。その結果、やたらと知り合いが多い。
ホッとして引き返そうとしたその時、「なに?知り合い?」という男の声が、背後で響いたのを感じた。
振り返ると、茜がこちらに手を振っている。
「ごめん、菜月!戻るの遅いから見にきてくれたんでしょう?」
「うん。でも知り合いならよかった!恭一のとこ戻るね」
すると様子を見ていた男が突然、ニヤリとしながら言ったのだ。
「え、君…茜ちゃんの友達?なんか全然タイプ違うね?」
男の冷やかすような視線が、自分に注がれている。
「なに?菜月は私の親友ですけど?」
茜がにらみながら言うと、男は鼻で笑った。
「親友?嘘でしょ。だいぶ年上に見えるし」
茜が「信じられない」という様子で男の顔を見ても、男はヘラヘラと笑っていた。そして言ったのだ。
「じゃあ茜ちゃん、食事会やろうね。あ、その人みたいなのじゃなくて、ちゃんと『女の子』連れてきてね」
怒った茜はそのままお会計を済ませ、恭一を連れて店を飛び出した。
店を出た後に話を聞いた恭一は、「は?どんな男だよ」と憤慨している。
「2人とも、いいのよ。あんなチャラそうな酔っ払い男に何を言われても、私は全然気にならないから」
…そう言って、笑い飛ばしたはずなのに。
田園都市線に乗って、自宅の最寄り駅の二子玉川で降りる。ホームを歩きながら、菜月はいつもより地面を見て歩いている自分に気づいた。
そのままとぼとぼと歩き、自宅マンションのオートロックを解錠する。
男からは見向きもされない人生になったけれど、菜月は見事通訳者になった。28歳になるタイミングでフリーの通訳者として独立もできた。
それで自分は幸せだと、ずっと思ってきたのに。
「ちゃんと『女の子』連れてきてね」という男の声が、鋭いナイフのように心臓に刺さっていた。
鏡を手に取り、自分の顔を凝視する。
「…まあ確かに、パッとはしないけれど。でも女の子ではあるもん」
小さくため息をついた後、菜月はメガネを外した。そして屈んで、洗面台の下の引き出しを開ける。
引っ張り出したのは、メイクポーチだ。
悔しさに顔をしかめながら、ファンデーションのチューブの蓋をクルリと回した。手のひらに、明るい肌色のペーストを乗せる。
「…なんか固まってる」
思わず苦笑いをした。随分使っていないせいで、出し始めの部分が干からびていたのだ。
ファンデーションを塗ったのは、去年の夏、友人の結婚式に出席したときが最後だ。
ベースメイクから目元口元まで、時間をかけてメイクを施す。こんなに隅々までメイクアップしたのは、トニーと一緒にいた頃以来だった。
「…あれ?」
鏡を見て、菜月は目を丸くした。
― なんか…思ったより全然いいかも。
今の菜月は、はっとするくらい綺麗だった。
トニーといた頃より、ずっと――。
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この記事へのコメント
別にメガネかけていても美人な人は美人だし。どう変わって行くのか、期待ですね。
あと二股男もクズだよね。菜月にトラウマ持たせるって何してくれるんだよ。