それは、菜月たちが留学していた10年前こと。
留学先で出会った現地人の恋人・トニーは、菜月にとって初めての男性。心の底から、大好きで大好きで仕方なかった。
その日菜月は、半年近く一緒に過ごしているトニーという英国人男性と手をつないで歩いていた。映画デートの帰り道だった。
「ねえトニー。この後は、どうする?」
菜月が甘えた声で言う。すると彼は、突然立ち止まって肩をすくめた。
「ああ、菜月。君に言わなきゃならないことがある」
「なに?」
「…残念なんだけれど、もうこれっきりにしよう。…彼女に、ものすごく怒られちゃったんだ」
菜月は耳を疑う。
「…ん?彼女?」
そう聞き返すとトニーは、菜月が英語を聞き取れなかったと思ったようで、やたらとゆっくりと同じ言葉を繰り返した。
「…そんなのひどい」
「ごめん、悪かったよ」
― 半年間すべてを捧げたのに、私はトニーの浮気相手に過ぎなかった。何も気づかず、まっすぐに信じていたのに…。
寮に戻る気になれず、ひとり敗北感にまみれながらビッグ・ベンを見上げる。霧の中でほんのりと輝く文字盤を見ながら、菜月は思った。
― 彼女さん…どんな人なんだろう…。
どうしても見てみたくなってしまった菜月はその晩、半泣きのままトニーの家の近くまで歩いた。玄関ドアが見える場所で、腰を下ろす。
30分ほど経っても誰も来ない。もう帰ろうか…。そう思ったとき、トニーが女性と腕を組んで歩いてきたのだ。
思わず凝視したその女性は、とても素朴な人だった。
そばかすも、乱れた髪もそのままで、どこにでも売っていそうなシンプルなフリースを着ている。
― なんで?どうしてあの人の方がいいの…?
正直、自分の方が数段綺麗だと思った。
「私、こんなに着飾ってきたのに…」
トニーに出会ってから必死で勉強したメイクも、服も、すべて無意味だったわけだ。
可愛くなるために費やした労力も、時間も、ムダ。
すべてがむなしく感じた。
― 恋愛って怖いや。…裏切らないのは、夢だけだわ。それなら、私は夢を追おう。恋愛なんてもうしない。通訳者になって、絶対に活躍しよう。
そう決心したのだった。
あれから10年。
菜月は今、本当に通訳として活躍している。恋愛なんてなくても、幸せに生きてこられた。誰からも傷つけられることなく、幸せに――。
…そのはずだったのに。
◆
平和に生きてきた菜月に衝撃的なことが起きたのは、3人でイタリアンバルでの食事を楽しんだ、その帰り際のことだった。
トイレに行くと言って席を立った茜が、なかなか戻ってこない。
「ねえ菜月。茜、ちょっと遅くない?女子トイレ見にいける?」
恭一に言われ、菜月は席を立ちトイレに向かった。するとトイレのすぐ横で、茜が見知らぬ男に絡まれているのを発見したのだ。
この記事へのコメント
別にメガネかけていても美人な人は美人だし。どう変わって行くのか、期待ですね。
あと二股男もクズだよね。菜月にトラウマ持たせるって何してくれるんだよ。