SPECIAL TALK Vol.87

~人と自然を繋ぐため左官の技を磨き、職人文化を次世代へと伝えたい~

令和のニューリーダーたちへ

かつて、日本の家づくりに欠かせない存在だった左官職人。

しかし、住宅環境の変化やスピードが求められる時代にあって、職人の数は減少を続けている。

一方で、国内のみならず海外で活躍する職人も存在する。祖父から続く左官職人の3代目、久住有生氏もそのひとりだ。

幼い頃より父から技術を叩き込まれたものの、左官職人になるつもりは一切なかった。

そんな久住氏がなぜ左官を仕事に選んだのか。そして、仕事をしていくなかで気づかされた、ほかにはない日本文化の特徴とは。

今、職人離れの危機が叫ばれる日本社会で、失われつつある価値観に光を当てる。

久住有生氏 1972年、兵庫県淡路島生まれ。祖父の代から続く左官の家に生まれ、3歳で初めて鏝(こて)を握る。高校3年生の夏に、アントニ・ガウディの建築を目の当たりにし、その存在感に圧倒され開眼、左官職人を目指して、さまざまな親方のもとで修業。1995年、23歳で独立。重要文化財などの歴史的価値の高い建築物の修復ができる左官職人として、国内だけでなく海外からの評価も高く、オファーも多い。その他、商業施設や教育関連施設、個人邸の内装や外装など多数手掛ける。

金丸:本日は左官職人の久住有生さんをお招きしました。お忙しいところ、ありがとうございます。

久住:こちらこそ、お招きいただき光栄です。

金丸:今日の対談の舞台は、恵比寿の『ピーター・ルーガー・ステーキハウス東京』です。ニューヨーク発祥のステーキの名店が、今年10月に初めての海外出店。“ピーター・ルーガー”というと熟成肉が知られていますが、本店と変わらない手法で、4週間以上かけて熟成したステーキをいただけるそうです。

久住:肉が好きなので、料理もとても楽しみです。

金丸:さて、久住さんは日本の伝統である左官の職人として、国内だけでなく海外でも活躍されています。海外で人気の和食をはじめ「日本文化はまるごと輸出できる」というのが私の持論なのですが、そうなると、久住さんの出番はますます増えていくのではないかと。

久住:実は、最近はシンプルな「和」を求められる仕事はほとんどありません。海外の鮨店から壁を塗ってほしいと依頼されることもありますが、一方で、塗った壁の一部を額装してアートフェアに出展することもあり、アートの代わりというか、むしろデザインしたものを求められることが多くなっています。

金丸:コロナ禍、さまざまな業種・業態が影響を受けていますが、左官業にも影響はありましたか?

久住:ありました。ひとつは、海外への渡航ができないことから、現場作業が止まってしまいました。なので、新しい活動として、地元の土や地域の人たちと関わるワークショップのようなこともやっていきたいですね。僕はその土地の土を使うのが一番だと思っているので。

金丸:たしかに、土は世界中のどこにでもありますからね。

久住:もうひとつは、現場で密集した作業がやりづらくなりました。この影響は大きいですね。僕らは大きな壁を塗るときでも密集して作業します。というのも、左官の仕事は誰かがある工程をやったあと、時間を置かずにすぐほかの誰かが次の工程をやる、という流れがすごく大事で。

金丸:その積み重ねで、壁が出来上がるんですね。

久住:だから仕上げ方を変えたり、作業のやり方を変えたりと工夫が必要でした。

金丸:コロナの影響で、モノの見方や価値観に変化があったように思います。家やアート、文化について忘れられつつあったものが見直され、これまでにない新しい価値観も生まれています。今日は久住さんの生い立ちからこれまでの歩みだけでなく、左官という仕事を通じて感じていらっしゃることを、じっくり伺いたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

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