誠司は気さくな人で、取材は和やかに進んだ。
経済誌のときと違い、難しい単語に頬を引きつらせることも「キミはわかってないよ」となじられることもない、平和な取材だった。
「取材は以上です。原稿ができたら、お持ちしますね」
「うん。今後はぜひお客さんとしても店に来てください。サービスしますよ」
誠司の笑顔を背に、ドアを閉める。
― 素敵なお店だった。今度、大ちゃんを連れてこようかな。
◆
神泉の自宅マンションに帰ると、時計はまだ午後5時を指していた。異動前の部署では考えられない帰宅時間だ。
美津はとりあえず洗濯機を回し、夕食を作り始める。ロールキャベツに味が染みてきた頃、大介が帰ってきた。
「ただいまー。…うわ、ただいまって言ったのいつぶりだろう。いつも帰ったら1人だったから。美津が異動になってよかった」
幸せそうな彼をよそに、美津は心の中でつぶやいた。
― 全然、よくないから。
噂によると、業績難で異動になったはずの美津のポジションには、来月から若手の男性社員がくるらしい。やはり「結婚間近の女であるから」異動させられたのだろうか―。
「婦人雑誌の仕事はどう?」
「今日は、バーの店主に取材してきたわ。下調べも簡単だし、経済誌とはまるで違う」
ロールキャベツを盛ったお皿を、大介の前に置く。
「楽になってよかったな。この感じなら式の準備も進められそうだし。結婚のきっかけが、天から降ってきたみたいだ」
美津は、真顔になった。
彼が「よかった」と連呼すればするほど、美津は自分の中にある悔しさを自覚する。
美津は一橋大学を出て、大手出版社に入社。寝食を忘れ仕事に励み、能力の高さから同期の中では一番の出世頭だった。
だから、経済誌記者として大学教授や研究者、活動家たちへ取材をする日々は、自分の能力に見合っていたと思う。
― この私が婦人雑誌の担当?宝の持ち腐れじゃないの?
「私、人事に異議があるって言おうかしら」
「え?」
「いや。独立もありね。今のキャリアなら、フリーでもやっていける」
「…美津?やっと落ち着いたんだから、しばらくは今の部署で穏やかに暮らさないか?
これから結婚式もあるし、僕はなるべく早く子どもを授かりたいなって思ってるよ。
不自由はさせないし。もちろん、ちゃんとプロポーズはするけど」
大介がそう言ったとき、美津はハッとした。
― 大ちゃんに仕事を支えてもらうイメージはあるのに、大ちゃんの妻として家庭に入るイメージが、まったく湧かない…。
経済記者としてのキャリアありきで、大介を選んでいた。キャリアの先行きが見えなくなった今、大介との結婚が急に物足りないものに思える。
ロールキャベツからたちのぼる湯気のように、美津の心に、もやがかかった。
― え、本当にこの人と一緒になっていいのかな?私には、もっと最適な相手がいるんじゃないかな…。
美津は食事の手を止める。できたての温かいロールキャベツは、いつの間にか冷めきっていたのだった。
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膨らむ大介への違和感に、美津はある行動に出てしまう。
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この記事へのコメント
結婚のために女性が仕事をセーブするのが当たり前だと思っている男と、自分らしく生きていきたい女
結婚前に気づいてよかったな~と思いました。
男性だったら傲慢とか言われなそうでモヤモヤ