SPECIAL TALK Vol.84

~一番眠りにこだわる人に最高の睡眠を。その熱意で倒産寸前の企業でも、世界レベルの製品を生み出せた~

個人で5億円借りた結果、エアウィーヴの素材と出合う

高岡:僕は31歳で結婚したんですが、当時、仕事上で父と激しく対立していました。父が妻に「本州がな、出来が悪くてな」と直接電話してくることもよくあって。

金丸:それは大変ですね。

高岡:妻は僕と違って人間ができているので、「そうなんですね、ごめんなさい」と、むやみに争うことはしませんでした。でも、赤字体質をどうしたものかと思っているときに、父から「誰か経営アドバイザーを連れてきてくれ」と頼まれて。そこで、慶應の恩師である奥村昭博先生にお願いしてアドバイザーになってもらい、父と一緒の会議にも出てもらうようにしました。

金丸:その先生って、先程のゴルフ好きの方ですか?

高岡:まさに(笑)。先生に言われたのは、「創業者が自分の事業で赤字を出すのも経営者の性(さが)だから、納得いくまでやらせるしかない」と。信頼している第三者から言われると、さすがに諦めがつきました。

金丸:対決や対立から生み出されるものもありますが、ほかの選択肢があるなら、そちらを選んだ方がいいこともあります。相手がライバル企業なら争う意味もあるけど、身内と争うのはエネルギーの無駄に感じます。

高岡:それに、少し離れて見ると、ほかの社員たちがいかに父を尊敬しているかが分かってきて。僕が言うのもなんですが、父は非常にまじめで誠実。うちの会社は高度経済成長期にあっても、経営手法というより、技術力と人間力で大きくなった会社です。

金丸:魅力ある経営者だと、社員はやっぱりついていきますよね。

高岡:そうなんです。父がゼロから会社を作り上げたことを知っている社員にとっては、父は絶対に正しい存在なんです。それに、父がセラミックの建材にチャレンジしたのは、木造で簡単に燃えてしまう日本の家屋をアップデートしたいという思いからでした。いくら儲からないとはいえ、無理に事業をやめさせていたら、もっとひどいことになっていたかもしれません。1998年、37歳で僕が日本高圧電気の社長になりました。そしてその2年後、経営者の判断として建材の事業をやめさせてもらいました。

金丸:ここまでで十分ドラマチックなんですが、まだエアウィーヴにたどり着きません(笑)。

高岡 ここからもドラマチックですよ(笑)。ただ、あの時、父と対立していたら、もちろん日本高圧電気を飛び出していたし、今のエアウィーヴもありません。

金丸:エアウィーヴ誕生のきっかけは、何だったのですか?

高岡:叔父が経営していた会社の経営状態が厳しくて、「なんとかしてくれ」と言われたのが始まりです。2004年のことでした。もとは釣り糸を製造する機械を作る会社で、釣り糸が固まったような状態のクッション材(現在の「エアファイバー」)を作っていました。この素材には独特のクッション性があり、エアウィーヴのもとになりました。

金丸:では、経営状態が悪いなかにも、光るものがあったんですね。

高岡:いや、最初は事業を畳む以外に道はないと思っていましたよ。ところがややこしいことに、叔父は日本高圧電気の株を持っていて、借金だらけのなかで株だけが資産だった。日本高圧電気は上場せず、赤字も出したことのない会社なので、株を買い取るとなると、かなり高額になります。

金丸:株が散逸すると、あとあとトラブルの種になりますし。

高岡:叔父は自分が経営した会社を畳むのが嫌だったので、私が会社を引き継ぐことを条件に日本高圧電気の株を買い取りました。そのときに「ああ、億単位の横領をする人って、こんな気持ちなんだ」と。

金丸:どういうことですか(笑)。

高岡:1億、2億と借金が増えていくと、個人で返せる限度を超えます。だから「これ以上横領したって、返せないことに変わりはない」という気持ちになるんです。そうして、どんどん金を引き出してしまうんだろうなと。

金丸:なかなか、一般の人が得られない気づきですね(笑)。

高岡:途中でやめられないほどの借金もしてしまったし、仕方がないから、とにかくこの会社を立て直そう。釣り糸の機械はやめて、このクッション材で寝具を作ろうと決めました。

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