SPECIAL TALK Vol.84

~一番眠りにこだわる人に最高の睡眠を。その熱意で倒産寸前の企業でも、世界レベルの製品を生み出せた~

「どうやってお育てに?」皮肉を言われるほど、伸び伸びと育つ

金丸:前からお聞きしたかったのですが、高岡さんのお名前の「本州」(もとくに)って、どのような由来があるのでしょう。やはり「名古屋は本州の真ん中だ!」という意味合いでしょうか?

高岡:ではないと思います(笑)。女の子がふたり続き、今度は男の子だと名前を付けるのにも気合いが入ったそうで。いろいろな先生に字画を相談した結果だそうです。

金丸:最初に高岡さんとお会いしたとき、顔立ちから九州とか沖縄の方かなと思いました。僕はルーツが鹿児島なので親近感を覚えたんですが、お名前は「本州」。しかも、お生まれが名古屋なので混乱しましたよ(笑)。

高岡:それが南の方とは縁はないんです。父は京都生まれですし。これだけ珍しい名前だと、小学校でも先生に真っ先に覚えられて、そのぶん真っ先に怒られました。

金丸:ということは、先生に怒られるような子どもだったんですか?

高岡:6年生のとき、うちの母がPTAの集まりで学校に行ったら、担任の先生から「どうやってお育てになったんですか?」と聞かれたそうです。

金丸:えっ、それって皮肉ですか?

高岡:その担任にとって、僕は先生の言うことを聞かない生意気な子どもだったんです。

金丸:僕と同じです。また親近感が湧きました(笑)。

高岡:5年生の担任とはすごく馬が合って、僕の自由奔放なキャラを伸ばしてくれるような先生でした。でも6年生のときの先生は、管理型というか「授業の間は静かにしてなさい」と。まあ、当たり前と言えば当たり前ですけど(笑)。

金丸:高岡さんは、授業中に周りの子とおしゃべりしていたわけですね。

高岡:でも先生に当てられると、ちゃんと正解しちゃう。しゃべってばかりじゃなくて、先生の話も聞いていたので。

金丸:器用ですね(笑)。先生としては、高岡さんが答えられなくて「ほら、だから授業中は静かに話を聞いてなきゃだめでしょ」と言いたかったはず。

高岡:それが悔しかったのか、「どうやってお育てに?」と。

金丸:そう聞かれて、お母様はなんと答えたのですか?

高岡:「うちの息子、そんなにおかしいですか?」と聞き返したそうです。そしたら「なかなか言うことを聞かない」と。母は帰宅後、僕に「先生に怒られたけど、あなた学校でどういうふうに過ごしてるの?」と聞いてきて。こっちは普通だと思っているから、そんなこと言われても困ってしまって。

金丸:お父様は、どんな反応だったんですか?

高岡:それが、「なんだ、失礼だな」と怒りましたね。「大体、目立たんような奴はひとかどの奴にならんから、それはそれでいいんだ」と。

金丸:おお、いかにも創業者らしい。私も型にはめるような学校教育には反対です。枝をいっぱいに伸ばしてから、どんなかたちにするかを決めた方が盆栽だって立派になるし、バリエーションも豊かになる。日本の教育は、小さいうちにいきなり枝を刈り込むようなことをするから、こぢんまりとしてしまう。小さい頃は、多少無茶するくらいでちょうどいいと思います。

要所要所で口を出さずにいられない経営者の父

金丸:中学から私立ということでしたが、中学受験の勉強はされたのですか?

高岡:まったく。そもそも受験するつもりはなかったんです。ところが、6年生の12月に、父が突然「受験しろ」と。

金丸:受験の直前じゃないですか。どうしてお父様は急にそんなことを?

高岡:テレビで「まもなく愛知県で公立高校の新しい入試制度が始まる」というニュースを見て、言い出したんです。僕は先生の言うことを聞かないし、中学ではいい内申書にはならないだろうから、だったら中高一貫校がいいだろうと考えたようで、その場で「おまえ、東海中学校を受けろ」と。

金丸:ニュースを見て、即断即決ですか?

高岡:はい。僕が「受験勉強なんてやってないよ」と答えると、「落ちたっていいから」と。それから2月頭の試験まで勉強して、なんとかギリギリで合格しました。

金丸:授業中におしゃべりしてるのに、勉強はできたんですね。

高岡:小学校のときは、そこそこ成績がよかったんです。でも東海中に入学したら、周りはもっと勉強ができる人ばかりで。今でも覚えているんですが、最初の中間テストの成績は、クラスで37番目。50人くらいのクラスですから、かなり後ろの方で、小学校のときと全然違う結果にびっくりしましたね。

金丸:では、そこで挫折を味わった?

高岡:びっくりはしましたけど、「まぁ、いっか」って。

金丸:そこはすんなり受け入れるんですね(笑)。

高岡:僕は楽観的なんですよ(笑)。「人生長いからいいよな」って。

金丸:中高一貫だと、高校受験もないですし。

高岡:6年間、楽しかったですよ。今でも同級生とは付き合いがあります。

金丸:その後、成績はどうだったんですか?

高岡:高校2年生くらいになると、勉強をやらない人はまったくやらなくなるので、上と下の差がますます開きます。だから成績の上位3分の1を「A群」、残りを「B群」とクラス分けするんですが、僕はA群にいました。

金丸:「クラスで37番」から這い上がっていったんですね。

高岡:中学の終わり頃には、半分より上ぐらいになっていましたね。コツコツ型なので。

金丸:コツコツ型のエピソード、今までまったく出てきていませんが(笑)。

高岡:そうでしたね(笑)。父の影響も大きかったと思います。「電気の勉強をやれ」と、ひたすら言われていたので、最初から大学は工学部に進もうと決めていました。

金丸:その頃にはお父様も、高岡さんに跡を継がせることを考えていたんですね。

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