2021.04.20
リバーシ~光と闇の攻防~ Vol.1最初の仕事
― こんな素敵なオフィスで仕事できるなんて夢みたい…。
面接から3週間。秋帆は再び黒川の会社に足を運んでいた。ビルの外に広がる爽やかな青空を眺めていると、喜びがこみ上げてくる。
入社前説明ということで、人事から呼び出されていたのだ。ワクワクしながら待っていると、ノックもなくドアが勢いよく開いた。
「白田さん、また会えて嬉しいよ!今日君が来ると聞いて、つい来てしまった」
入ってきたのは、社長の黒川だった。秋帆は、彼の存在感に圧倒されてしまう。
180cm以上ある身長とガッシリした体に、紺のストライプスーツ。時計はどこのブランドか分からないが、明らかに高級品と分かる。
後ろから金魚のフンのように付き従っている人事部長が、なんだか委縮しているように見えた。
「まずは、入社を決めてくれてありがとう」
ニコッと微笑んだ黒川が、右手を差し出した。
― 痛っ…。
黒川に手を握り締められた秋帆は、彼の握力に驚いた。軽い挨拶というよりは、逃がさないぞとでも言わんばかりの力強さだったからだ。じっと目を見つめられて、秋帆は反射的に息苦しくなる。
「では、そろそろ始めましょうか」
書類を並び終えた人事部長が声をかける。ようやく解いてもらえた手は、その後もジンと痛みが残った。
「白田さんは、事務職のご採用ということで…」
人事部長が書類をもとに説明を始めると、黒川が「違う」と、低い声で話を遮った。
― えっ…?
秋帆に緊張が走る。人事部長もまた、驚いた様子で黒川のことを見つめた。
「白田さん、君には僕の秘書をやってもらうことにするよ」
「…秘書?」
突然の出来事に、秋帆の頭は混乱する。自分が応募したのは、事務職だったはず。秘書経験などないし、話が違う。
「私では務まらないのでは…」
途中まで言いかけた秋帆だが、黒川の鋭い視線を感じ、口を閉じた。
「僕が見抜いた才能だから間違いない」
黒川は、瞬きひとつせず秋帆をじっと凝視する。その隣では、人事部長が何度も雇用契約書を確認していた。
「いいね?白田さん?」
「…」
ここで受け入れてしまって、後悔したらどうしよう。瞬間的に、秋帆の脳裏に不安が過ぎる。
昔ドラマで見た警察の取り調べのような圧迫感だ。
「いいよね?」
念を押された秋帆は、ここで抵抗しても意味がないと察し、「はい…」と、小さな声で発した。
「よし、決まり。悪いが雇用契約書を作成し直してくれ。よろしく」
鶴の一声とはこのことだろう。黒川の言葉を受けた人事部長は、「承知しました」と、猛ダッシュで会議室を出て行った。
「では改めて。白田さんは、秘書の採用ということで…」
こうして秋帆は、黒川に“見初められて”、彼の秘書として働くことになる。
◆
「早速だけど、最初の仕事に行こうか。連れていきたい場所があるんだ」
迎えた、初出勤日。
秋帆がパソコンの設定やデスクの整理をしていると、黒川が声をかけてきた。
「はい!」
ジャケットを羽織った秋帆は、急いで外出の支度をする。取引先に同行するということだろうか。秘書としてうまく振舞えるか不安だったが、そんなことを言い出せるはずもない。
「僕が見抜いた才能だから間違いない」という黒川の言葉を胸の内で反芻した。
― 連れていきたい場所ってどこだろう…。
タクシーの中で、秋帆は黒川からの説明を待つ。彼の“秘書”として同行するのだ。失礼のないようにしたいから、取引先なのか、外注先なのか、最低限の情報を教えてほしい。
だが彼は、iPadを眺めていて口を開く気配がない。仕事中悪いなと思いつつ、秋帆は恐る恐る彼に尋ねた。
「社長、お邪魔して申し訳ありません。これから伺うところは…」
「着いたよ」
ちょうどタクシーが停まったのは、銀座のデパートの目の前だった。
― ここ…?
デパートに一体何の用事なのだろう。秋帆が「お取引先ですか?」と聞いてみても、黒川は首を横に振るだけだった。
「良いからついてきて」
そう言うと彼は、秋帆の腕をがっしりと掴んだ。そして、婦人服売り場に到着するなり、店員にこう言い放った。
「彼女に似合うもの、持って来てください。白田さん、何でも買いなさい。僕がプレゼントするから」
「はっ…?」
訳が分からず、秋帆は固まってしまった。
店員は、これは大口の良い客が来たと思ったのだろう。次から次へと洋服を運びこんでくる。最初は3人しかいなかったスタッフも、瞬く間に10人以上になっていた。
店員が運んでくる洋服をただただ試着し続けて、1時間。
レジカウンターの周りにズラリと並べられた紙袋は、全部「僕からのプレゼント」ということらしい。
― ど、どういうことなんだろう…?他の社員にもこんなことをしてるの?それとも私の服がダサくて遠回しにダメ出しされてるとか?
秋帆が固まっていると、黒川は「プレゼントはこれだけじゃないよ」と意味深に笑った。
「僕はここで失礼する。白田さん用にタクシーを頼んであるから。荷物を置いて会社に戻ってくれ」
それだけ言い残すと、彼は秋帆を置いて立ち去ってしまった。
◆
「行先は、恵比寿の、この場所ですね?」
タクシーの運転手が、秋帆の荷物を運んでくれている店員に確認している。
秋帆は、店員が告げている聞き覚えのないマンション名に首を傾げた。何の話をしているのだろう。
そのとき業務用に渡されたスマホが鳴った。
『黒川隆:社員寮も準備済み。店員さんに住所を書いたメモを渡しておきました』
当面は埼玉の自宅から通うつもりだったが、社員寮まで用意されているとは驚いた。頭をフル回転させるが、理解が追いつかない。
内定をもらえただけでも奇跡だったのに、大量の洋服をプレゼントされ、恵比寿の家まで与えられるなんて。やはり、訳が分からない。
「お客様、よろしいでしょうか?」
運転手の声で、秋帆はハッと我に返る。驚きのあまり、ぼんやりしてしまった。
「はい、大丈夫です…」
窓の外に目をやると、デパートの店員がゾロゾロと一列に並んでいた。皆、秋帆に向けて深々と頭を下げて見送っている。
「何が何だか分からないけど…。こんなにしてもらって、とにかく頑張るしかないよね」
戸惑いながらも、秋帆は誓う。
ここで引き返すべきであったと後悔することになるとは、露知らず。
▶他にも:同棲中の彼氏が、1週間家に帰ってこない…。1LDK・家賃24万の部屋で女が感じた限界とは
▶︎Next:4月27日 火曜更新予定
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