突如動き出した人生
遡ること、1ヶ月前。秋帆は、失意のどん底にいた。
― また今回もダメだったか…。
“選考結果のご連絡”というタイトルのメールを開いて、がっくりと肩を落とす。
“誠に残念ではございますが”
その文字を見ると同時に、メールを削除した。怖くて確認できないが、ごみ箱には不採用通知が大量にあふれている。
― そう上手くいかないよね。
前向きにと思いながらも、現実の厳しさを噛みしめる。
白田秋帆(しろた あきほ)、24歳。
埼玉県にある小さな不動産会社で、事務として働いている。
大学時代、周囲と同じように就職活動もしたのだが、結果は惨敗。特にやりたいこともなく、手当たり次第受けたのが原因だった。
卒業後、地元の埼玉を中心に就職活動を続けたところ、今の不動産会社に雇ってもらえたのは紛れもない幸運だろう。
実家に身を寄せてのんびり働いていた秋帆だが、状況は一変、勤務先の経営状態が悪化。このままではまずいと、さすがに焦った。
― もう一度就職活動をしよう。
そう決意し、チャンスの多い東京を中心に受けてみることにした。
しかし、現実はそう甘くない。
大したスキルもなく、職歴も1年程度。転職エージェントも、転職は難しいだろうと遠回しに伝えてくる。
企業に直接応募してみても、結果は芳しくない。焦りと不安で押しつぶされそうになっていた時だった。
03から始まる番号で、着信があったのは。
― どうか受かりますように。
秋帆は、小さく身体を震わせながらその時を待っていた。受験前のように、掌に「人」の文字を書いて、飲み込む。
今日は通過連絡をもらった会社の面接だ。
他の企業は書類選考で不合格ばかり。ここを逃すと、もう持ち駒がない。
ダメ元で受けた会社だが、ここまで来たからにはどうしても受かりたい。
ー 神様、仏様。私の味方になってくれる人。全員、お願いします。
祈り続けていると、2人の男が姿を現した。
ー あ、この人…!
秋帆は、1人の男を見て息をのんだ。会社のホームページに載っていた、あの人…。この会社の社長ではないか。
黒光りするほどビシッと固めた髪に、射るように鋭い眼光。間違いない。
「怖い」というのが第一印象だった。
それにしても初回から社長が登場するなんて、予想もしていなかった。呼吸が荒くなり、手にじんわりと汗がにじむ。
すると彼は、 秋帆の前にドカッと腰を下ろしたあとで、ニコリと笑った。
「君、とってもいいね」
「え?あの…どのような意味でしょうか…?」
予想外のセリフに驚いて、つい聞き返す。
「“自由な服装”だからだよ」
その言葉に、秋帆は自分の解釈が間違っていなかったのだと嬉しくなった。
面接の連絡をもらった時、「自由な服装で来てください」と、何度も告げられた。
とはいえ、面接だ。スーツで行くべきか迷ったが、あれだけ念を押されたのだからと、カジュアルな装いで臨むことにしたのだ。
「いくら自由な服装でって言っても、皆スーツで来るんだよね。白田さん、君は素直さが出ていて、とても良いと思う」
「ありがとうございます」
頭を下げると、目の前の男は驚くべきことを口にした。
「個人的には、君を採用したい。自己紹介が遅れました。社長の黒川と申します」
― さ、採用…!?
秋帆は、驚きのあまり言葉を失った。
差し出された名刺を受け取ると、そこには確かにこう書いてあった。
“代表取締役社長 黒川 隆(くろかわ たかし)”
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愛人にされるのか...