
ヤドカリ女子:仕事も男も手玉に取る28歳女。彼女が決して自宅に帰らない理由とは
翌日、25時半。
上から2番目、左から3つ目。仕事終わりのだるい体でコインロッカーから荷物を取り出し、あんなはルブタンのヒールを鳴らす。
タクシー乗り場に向かいながら、バッグの中で振動したスマホを手に取ると『4件の新着メッセージ』をポップアップが教えてくれた。
うち3件は『ママ』と表示されている。そっと親指で長押しして、既読をつけないようにトークを開く。
“あっちゃん、元気してる?”
“忙しいと思ったから、簡単に食べられるものを送ったよ!受け取ったら感想教えてね♪実家に帰る暇もないくらいあっちゃんを忙しくさせるなんて、ひどい会社だよねー!”
“りんちゃんが全然就活しないから困ってる。声優になりたいから、オーディションを受けるって。このままだとニートまっしぐら。姉のあっちゃんがこんなに働いてるのに妹がニートじゃ、恥をかく。考えてたら昨日も眠れなくて…”
3通目のLINEは、文字数が多くて表示しきれなかった。ぐん、と心が重くなる。
母親に依存されていると気づいたのはいつだったか。
妹のりんがフリーターになってから、従来の情緒不安定さに磨きがかかり、返事をしなくても読み切れない量のメッセージが送られてくるようになった。
そんなとき、脳裏に蘇るのだ。
「あんたなんか、産まなきゃよかった」
薄らぐ幼少期の記憶の中で、母親の呪いのような言葉が今もあんなをとらえている。
何度も繰り返し言われたのだ。幼稚園の頃。小学生になってから。中学校に上がっても。
きっと母に指摘したら「そんなこと言ったっけ」と笑うだろう。年の離れた妹が思い通りに育たないことに気づいてから、手のひらを返してあんなを大切にし始めたんだから。
なんて都合が良いんだろう。そう思いながら、軽く瞼を閉じる。
― でも、今のママは私を必要としている。
あんなもまた、母親の愛を求めて依存していた。
タクシーに乗り込み「西麻布まで」と伝える。今夜の男は、あんなを一番愛している医者。どんな態度でも受け入れてくれて、ギスギスした気持ちを晴らすにはうってつけだ。
そんなことを思いながらもう1通のLINEを開き、思わず眉間に皺が寄った。まさにその医者から「風邪をひいたので今日はごめん」というメッセージが届いていたからだ。
時刻は25時49分。今から他の男を捕まえられるか…。逡巡するが、確率は五分五分だ。
「…すみません。やっぱり中目黒でお願いします」
◆
『402』と書かれたドアだけ、他の部屋よりも陰鬱なオーラを放っているようだ。あんなは鍵を挿し込み、扉を開ける。
玄関は、足を踏み入れるだけで転がった靴を踏んでしまうほど散らかっていた。足でブーツやパンプスを端に寄せ、ヒールを脱ぎ捨てる。
廊下に積みあがった段ボールの上にバッグを置き、脱いだコートを適当に投げた。
電気をつけると、放置された服や色んなもので、足の踏み場もない。冷蔵庫を開き、かろうじて入っていたミネラルウォーターを口に含んだ。
10畳1Kの、ひとり暮らしの部屋。ベッドに積んでいた衣類と書類を一気に床へ落とし、倒れこむ。
顔を横に向けると、化粧品やいつ空けたか分からないワインボトルの転がるローテーブルがちらついた。
「…こんな部屋、大嫌い」
自分の嫌なところを、ぎゅっと凝縮したような部屋。 横たわったまま、手のひらで目を覆う。頑張っても、どうしても、片づけられない。
― だから私は、男の元を転々とするしかないんだ。
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