2021.03.02
女といるのが向いてない Vol.1あの日は確か、青山にある鉄板焼の店でランチをした。それから神宮外苑の銀杏並木を散歩しつつ、二人で代々木上原に帰ろうとしていた時。
麻里亜が突然こう言ったのだ。「別れたいの」と。
「えっ…。どうして?」
狼狽しながら聞くと、彼女はいつもと変わらない柔らかい口調で言った。
「なんかね、愛されている感じがしないの。私のこと本当に好き?」
「ええ?好きに決まってるじゃん」
「…どこが?あんまり興味がないように思えるわ」
銀杏で作られた絨毯の上に佇み、悲壮感あふれる顔をしていた麻里亜は、当時26歳だった。
そしてこの時の自分は、突然別れ話をされたことで、こう思ったのだ。
―プロポーズを待たせすぎたのか。なんだか、申し訳ないことをしたな。
そうして翌日に、ハリー・ウィンストンのブティックに足を運び、あのネイビーのボックスを忍ばせて会いに行ったのだ。
「麻里亜、待たせてごめん。僕と結婚しよう」
彼女は笑ってうなずいてくれると、本気で思っていた。しかし次の瞬間、僕の耳に届いたのは今まで聞いたことないような冷たい声だったのだ。
「泰平は何もわかってない。あなたが、私を愛しているようには見えないわ。だって付き合いたての頃より、電話もメールも目に見えて減ったし」
麻里亜は目に涙を浮かべて、続けた。
「会えない休日も、何をしてるのか聞かないと話してくれないし。だから腹いせに他の男と会うと言っても、嫉妬すらしてくれない。…そういうのに耐えられなくなったの」
そんな不満の数々に、ただただびっくりした。2年間ずっと穏やかにやってきたつもりだったのに、相手はそれをおくびにも出さず、ストレスを蓄積していたというのだから。
「そんな細かいことで?付き合ってるんだから、愛してるに決まってるのに」
「…あのね。泰平は、女の子といるのが向いてない。あなたは、ひとりが向いてるのよ」
あの時の麻里亜の言葉は、正しいと思う。確かに自分は“恋愛”の優先順位が低い。
…いや、そもそも“人付き合い”の優先順位が低いのだ。
連日いろんな子とデートしたり、友人を集めてボードゲームに興じたりしている樹なんかと比べると、本当にそう思う。
だって僕には、そんなことよりも幸せな過ごし方があるから。例えばこんなふうに、最高の料理とワインを飲みながら、ドキュメンタリー番組を見るだとか。
それでもあれから何度か、新しい恋愛を試みた。…しかし、すぐ面倒になる。
こまめに連絡をしたり、適度に束縛をしたり、根掘り葉掘り自分から質問をしたり。恋愛にはそういうことが必要なようだ。
けれど、そんな面倒なことに時間とエネルギーを割くなんて到底できない。
そうして失敗を繰り返しては、麻里亜の言葉が納得感を増すのだった。
そんなことを考えていたら、いつの間にかドキュメンタリー番組は進んでしまっている。反射的にリモコンの巻き戻しボタンを押そうとして、ふと思った。
―もしこんなふうに時間を戻せるのだったら、僕は麻里亜を満足させられるだろうか。
そして、思うのだ。
どうせ無理だ、と。
そもそも僕は、誰かとともに生きられない。向いていないのだ。この歳になってよく分かった。
そういえば樹が教えてくれたが、かつての同級生たちの“最後の結婚ラッシュ”が去年から来ているらしい。
ただ、それについて「へえ、そうなんだ」としか思えない。なぜなら、自分とは違う世界の話だと思っているから。
先月、35歳になった。
両親や親戚にとやかく言われることもあるが、別に、焦りなんてない。
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樹に誘われた食事会で、泰平はある人物と出会う…。
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