「お片づけのセオリーでは本当は、思い出の品には最後に手をつけるんです。他のものを片付けているうちに、要不要の感覚が研ぎ澄まされていくので。…でも、今回はそれには従わずに進めましょう。どうやら、服も小物も全部思い出が詰まっているようですしね。今、手に届く1つ1つを拾って判断していきましょう」
こうして2人の片付けは、3ヶ月間、毎週末に行われた。
美桜の暮らす1LDKの部屋は、週末ごとに見違えるように美しくなっていく。
物が失くなったわけではない。大切な物だけが手に取れる。目に見える場所にある。
「大好きな思い出だけを手元に残しましょう。いつでも目に触れられるところに」
そんな雅矢の言葉に導かれながら、捨てたい過去に別れを告げた。ガラクタと化した悲しい思い出があった場所には、代わりにこれまでしまいこんでいたお気に入りの写真や、旅先で出会った小さな小物をきれいに飾る。するとそこには、目に入るだけで心がうきうきとするような、小さなパワースポットが出来上がっているのだった。
最後のお片づけの日。別れのときが近づいていることを実感しながら、美桜は懸命に言葉を絞り出す。
「私、生まれ変わりました。浮気をするような婚約者と結婚しなくて正解だったって、今なら心から思える。それに、お片づけをきっかけに、自分のことを好きになれました。雅矢さん、本当にありがとうございました」
その言葉の通り、ここ最近の美桜は周囲から「綺麗になった」と驚かれることが多くなっていた。
「服もメイクもきれいにしよう」と心がけ始めたのは、部屋が綺麗になっていったことだけが理由ではない。
いつのまにか美桜は、自分の生活を変えてくれる雅矢に特別な親近感を抱きはじめていた。
雅矢と共に片付けをするこの時間が、暗がりのようだった毎日の中で、心をときめかせてくれるものになっていたのだ。
―今日を最後に、雅矢さんと会えなくなる…。
言葉につまってしまった美桜は、思わず俯く。そんな美桜に、雅矢は最後の挨拶をした。
「美桜さん。3ヶ月間よく頑張りましたね。婚約者の浮気は、本当にお辛かったことと思います。でも…負けずにこうして立ち直れた美桜さんなら大丈夫。きっと幸せになれますよ」
にっこりと美桜に向かって微笑んで見せる。だが、その雅矢の表情を見た美桜は、ふとある違和感を抱いた。
ーあれ…?雅矢さん、泣いてる?
そんな訳がない。目の前の雅矢は出会った頃のように、彫刻のように美しい笑顔を見せてくれている。
しかし、3ヶ月という時を共にし、雅矢に特別な感情を抱き始めていた美桜には、確かに伝わって来たのだ。…雅矢が心の奥底に、何かとてつもない悲しみを抱えていることを。
「あ…あの!!」
気がつけば美桜は、少し裏返った声で雅矢に声をかけていた。
「なんでしょう」
この気持ちを、うまく言葉にできない。感謝。ときめき。そして、雅矢の秘密を知りたいという好奇心。
そして、片付けによって新しい人生を手に入れた美桜は、お片づけのもたらす奇跡と、雅矢との出会いを、どうにか何かの形で残したいという焦りにも駆られていた。
混乱と興奮と戸惑いに背中を後押しされた美桜は、いつのまにか、自分でも想像もしていなかったことを口走っていた。
「雅矢さん。私を、弟子にしてください!!」
「…え?!」
雅矢は目を丸くし、そのまま黙り込んでしまう。
「私も、お片づけを通して、1人でも多くの人を幸せにしたいです。雅矢さん、魔法使いではないって最初おっしゃってましたけど…やっぱり魔法使いです!私、雅矢さんのおかげで、ぐちゃぐちゃだった部屋が…人生が輝きはじめたんです!私も、そんな魔法を使えるようになりたいです」
美桜は、頭を下げて、そう懇願する。
―私、何を言ってるの!?
心ではそう思いつつも、自分の気持ちを止めることができなかった。
「…美桜さん、わかりました。では、僕のアシスタントになってください」
「え!?」と、調子外れな声を上げたのは、美桜の方だ。絶対に断られる。熱い気持ちの一方ではそう確信していて、食い下がる心の準備もしていたのだ。
「ただし…」
雅矢は、そう言いながらいつもの柔和な笑顔ではなく…不敵でセクシーな笑みを浮かべる。
そして、息がかかりそうなほどの距離に、すっと近づいた。
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