特に自分が「何か」になるといった明確な目標や夢があるわけではない。
美咲は、留学中に見たそれぞれの国の首都、そこで暮らす人々の活気に溢れた表情を思い返しながら、ぼんやりと考える。
ー東京で暮らすって、どんな感じなんだろう…。
不意に、5歳離れた従姉のことを考えた。東京で働いている従姉とは、そこまで親しい間柄ではないのだが、インスタグラムやFacebookなどのSNSをフォローしていた。
彼女が投稿する写真やそこから見える日常は、まさに東京での充実した社会人生活を物語っている。
これまでは流し読みする程度だったが、いざ「東京」を意識し始めると、急に現実のものとして目に入ってくるから不思議だ。
気づけば美咲は、彼女のような生活が送れるような気がして、自分自身が上京するストーリーを頭の中で描いていたのだ。
こうして、始まりは漠然と、しかし次第に「東京」への憧れが強くなっていったのだった。
―私、就職活動は東京にある企業を受けてみようかな…!
1年間の留学を終え、3年生の夏に帰国した美咲は、まずはインターネットで色々な会社の情報を集め始めた。
―まただ。入社後数年間を地方で過ごさせる日系企業ばかりね…。これじゃ意味ないのに…。
「東京」に本社を構えていても、入社から数年間は営業として地方に転勤させる、という日系企業は多い。
美咲の就職希望条件は「東京在住」が大前提。そこでいくつか調べていくうちに、あるIT系の広告代理店に興味を持ったのである。
内定者の約半数が、美咲と同じ地方出身者であることも、志望度に大きく貢献した。
4年生となり、ついに迎えた採用時期。面接では留学時代の経験や学んだことを中心に自己PRをした。
ヨーロッパでの一人旅などのバイタリティが評価されたのか、最終選考を受けた翌日、美咲は人事部門からの非通知電話で内々定を通達されたのだった。
―やった!来年の春からは東京で1人暮らし!楽しみだわ。
美咲は、胸を高鳴らせた。
◆
—2019年3月最終週—
内定を得てからは、毎日があっという間に過ぎ去った。
残り少なくなった学生生活を名残惜しむ一方で、4月から始まる東京生活に希望は膨らむばかり。
北海道にいる美咲にとっては、インターネットやSNSから入ってくる情報のみが、最も信頼性が高く、最新のものだ。
「東京って、オシャレなお店が本当に多いのね…。わぁ、東京タワーのすぐ隣にこんな素敵なレストランがあるのかぁ」
気付けば、インスタで「#東京」「#東京レストラン」などと検索し、代官山のテラスがおしゃれな『IVY PLACE』や、東京タワーが見える『ワカヌイ グリルダイニング』などを見つけたり、東京の有名私大に通いながら読モをやっているような女子大生の投稿を見るのが日課になっている。
「それに、女の子たちのレベルがやっぱり高いなあ…。私、大丈夫かな?…きっと大丈夫よね」
美咲はスマホの画面を見つめながら、そんなことを呟いた。
自慢ではないが、美咲は容姿が優れている方だ。
もちろん読モをやっているような子達とはレベルが違うことは自覚しつつも、一般的に見て可愛い部類に入ることは、22歳までの人生でなんとなく察してきている。
例えば、美咲が内定を貰っている会社は、インターネットの一部界隈では「顔採用」と話題になっている会社でもある。
実際に、就活を通して出会った現役社員や内定者たちは、世間一般の基準からすると美男美女の部類に入る人が多かった。
だからこそ、東京に行けばもっともっと華やかで輝かしい社会人生活が待っていると、素直に信じていたのだ。美咲はすっかり浮かれていた。
―キラキラしたOLになって、素敵な彼氏が出来たりして…!
いよいよ明日は、東京に旅立つ日だ。
自分で決めたこととはいえ、やはり実家で過ごす最終日の夕食は寂しさがこみ上げてくる。
「辛くなったら、いつでも帰って来いよ」
いつも美咲のやることには意見すらしない父が、そんな風に言うとは思っていなかったため、思わず泣きそうになる。その顔を必死に隠しながら、美咲は早めにベッドに入った。
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