「親友だって、言ったじゃない」
2020年の春は、誰にとっても厳しいものだったが、誠司にとっては格別に堪えた。
3月、ちょうど莉緒と数か月ぶりに飲む約束をしていたが、外出自粛のためキャンセルになってしまった。
当選して以来あれこれ悩んだ挙句、切り出せずにいた当選チケットの件。本当はこの時に見せて今度こそ莉緒を誘うつもりだったが、時を同じくしてオリンピック自体が2021年に延期となった。
チケットは同じ競技に有効とのことだが、誠司は深く落胆した。
独り暮らしの誠司は、リモートワークになり、休日も家にいるとなると、終日誰とも口を利かないこともある。
オンライン飲み会も、何度か誘われて参加したものの、やっぱり友達とは会って話したいと思ったし、そこまでして…というのも本音だった。
ただ、莉緒にだけ、会いたかった。
このまま、もしかしてずっとこの調子だったら?
もし、このまま疎遠になって、会えないまま終わってしまったら?
そんなことはあるはずないと思っても、抱いた感情はリアルだった。
―俺は、ずっと何を待っていたんだろう?
東京オリンピックなんて、どうだってよかったのだ。莉緒の昔の男の言葉を思い出す。「今日、選ばれても選ばれなくても、告白します」と、彼は言った。
莉緒が、彼を選んだのは当然だ。自意識の殻から一歩も出てこない誠司を、莉緒は見限ったのだ。
少しずつ外出ができるようになってきた7月。誠司は莉緒にLINEをした。
「ひさしぶり。話があるんだ。今週末、会えない?」
◆
「珍しいじゃない。いっつも人気者で忙しい誠司が、土日にお誘いなんて、どういう風の吹き回し?」
『カナルカフェ』の夜のテラス席に、ミッドナイトブルーのワンピースで現れた莉緒は、シャンパンをオーダーすると、誠司の顔をじっと見た。
「…なんかあった?ちょっと痩せたよね?」
「そう?飲み会なくなったからかな、自炊だと面倒でさ」
なんでもない風を装いながらも、その実誠司の胸はいっぱいだった。
ほとんど半年ぶりの莉緒の笑顔に、泣きそうになる。こんなに好きなのに、どうして今まで黙っていたんだろう?
大切な人といつでも会えるなんて、思い込みに過ぎないのだ。
白ワインとムール貝や窯焼きピザを食べながら、誠司は莉緒との半年ぶりの会話を噛みしめる。
あっという間に閉店の時刻になった。肝心の話はまだできていない。
帰り道、並んで歩いた神楽坂のお濠沿いで、誠司は足を止めた。
今夜言わないと、もう永遠に道は交わらない。そんな気がした。
「あのさ、莉緒。…昔、莉緒のこと東京オリンピックに連れてってやるって言ったの、覚えてる?」
「え?」
覚えてるはずなんてない。戸惑うように見つめる莉緒が何か言うまえに、誠司はスマホを見せた。
「俺が勝手に気合いれてただけなんだけど。神様が情けをかけてくれたのか、ほんとにあたったんだ、陸上の決勝。結局オリンピックも延期になったし、もし来年本当に開催するとしても簡素化されるらしいし、どういう感じになるかわからないみたいだけど…」
「う、うそ!見せて?うわあ…!すごい!陸上決勝なんてあたった人初めてみた!」
興奮する莉緒がスマホを覗こうと近づいたとき、誠司は莉緒の小さな手のひらを握った。
ずっとそうしたかったのに、そうしなかった。手のぬくもりが、無駄にした何年ものもったいなさを痛感させる。
「莉緒が好きなんだ。もうずっと長いこと。…オリンピック一緒に見に行けたら、言おうって思ってたんだけど。もうそういうの、やめた。オリンピック頼みなんて情けないからさ」
「…友達だって、ずっと言ってたじゃない。誠司が、親友だっていうから…私」
莉緒は俯いていて、その表情は見えない。でも怒っているのは、顔を見なくても伝わってきた。
これまで肝心なところで向き合わずに逃げてきたことを、お見通しに違いない。
「ごめん。でも友達は、もうやめたい。彼氏になりたいんだ」
「…そうなの?」
一世一代の告白に、莉緒はついに顔を上げた。口元は怒っているのに、瞳は涙でぬれていた。
そして小さく品のいいショルダーバッグから、スマホを出すと、何かを打ち込んでいる。
―まさか断るのが気まずいからって、このタイミングで誰かにメール!?
動揺した誠司に、ぐいっとスマホ画面を見せる莉緒。
そこにあったのは、見覚えのある、オリンピックチケットの当選通知。しかも…開会式が2枚だ。
「誠司が待たせるから。これ以上1日も待てないと思って、一番はやく行ける開会式にした」
赤くなった莉緒の瞳の淵から、また、涙がこぼれる。
夏の夜風にのって、どこからか楽しそうな若者の声が聞こえてきた。
ようやくたどり着いた始まりの夜、二人はまるで祝福のようなその声を聴きながら、いつまでも抱き合った。
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後悔しても、二度と時間は戻らない。大切なひとを失った男の、せつない夏の思い出。
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この記事へのコメント
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次話も楽しみ♡