夏の恋 Vol.1

夏の恋:「東京オリンピックに一緒に行こう」と誓い合った男と女。7年越しの約束の行く末は?

「親友だって、言ったじゃない」


2020年の春は、誰にとっても厳しいものだったが、誠司にとっては格別に堪えた。

3月、ちょうど莉緒と数か月ぶりに飲む約束をしていたが、外出自粛のためキャンセルになってしまった。

当選して以来あれこれ悩んだ挙句、切り出せずにいた当選チケットの件。本当はこの時に見せて今度こそ莉緒を誘うつもりだったが、時を同じくしてオリンピック自体が2021年に延期となった。

チケットは同じ競技に有効とのことだが、誠司は深く落胆した。

独り暮らしの誠司は、リモートワークになり、休日も家にいるとなると、終日誰とも口を利かないこともある。

オンライン飲み会も、何度か誘われて参加したものの、やっぱり友達とは会って話したいと思ったし、そこまでして…というのも本音だった。

ただ、莉緒にだけ、会いたかった。

このまま、もしかしてずっとこの調子だったら?

もし、このまま疎遠になって、会えないまま終わってしまったら?

そんなことはあるはずないと思っても、抱いた感情はリアルだった。

―俺は、ずっと何を待っていたんだろう?

東京オリンピックなんて、どうだってよかったのだ。莉緒の昔の男の言葉を思い出す。「今日、選ばれても選ばれなくても、告白します」と、彼は言った。

莉緒が、彼を選んだのは当然だ。自意識の殻から一歩も出てこない誠司を、莉緒は見限ったのだ。

少しずつ外出ができるようになってきた7月。誠司は莉緒にLINEをした。

「ひさしぶり。話があるんだ。今週末、会えない?」



「珍しいじゃない。いっつも人気者で忙しい誠司が、土日にお誘いなんて、どういう風の吹き回し?」

『カナルカフェ』の夜のテラス席に、ミッドナイトブルーのワンピースで現れた莉緒は、シャンパンをオーダーすると、誠司の顔をじっと見た。

「…なんかあった?ちょっと痩せたよね?」

「そう?飲み会なくなったからかな、自炊だと面倒でさ」

なんでもない風を装いながらも、その実誠司の胸はいっぱいだった。

ほとんど半年ぶりの莉緒の笑顔に、泣きそうになる。こんなに好きなのに、どうして今まで黙っていたんだろう?

大切な人といつでも会えるなんて、思い込みに過ぎないのだ。

白ワインとムール貝や窯焼きピザを食べながら、誠司は莉緒との半年ぶりの会話を噛みしめる。

あっという間に閉店の時刻になった。肝心の話はまだできていない。

帰り道、並んで歩いた神楽坂のお濠沿いで、誠司は足を止めた。


今夜言わないと、もう永遠に道は交わらない。そんな気がした。

「あのさ、莉緒。…昔、莉緒のこと東京オリンピックに連れてってやるって言ったの、覚えてる?」

「え?」

覚えてるはずなんてない。戸惑うように見つめる莉緒が何か言うまえに、誠司はスマホを見せた。

「俺が勝手に気合いれてただけなんだけど。神様が情けをかけてくれたのか、ほんとにあたったんだ、陸上の決勝。結局オリンピックも延期になったし、もし来年本当に開催するとしても簡素化されるらしいし、どういう感じになるかわからないみたいだけど…」

「う、うそ!見せて?うわあ…!すごい!陸上決勝なんてあたった人初めてみた!」

興奮する莉緒がスマホを覗こうと近づいたとき、誠司は莉緒の小さな手のひらを握った。

ずっとそうしたかったのに、そうしなかった。手のぬくもりが、無駄にした何年ものもったいなさを痛感させる。

「莉緒が好きなんだ。もうずっと長いこと。…オリンピック一緒に見に行けたら、言おうって思ってたんだけど。もうそういうの、やめた。オリンピック頼みなんて情けないからさ」

「…友達だって、ずっと言ってたじゃない。誠司が、親友だっていうから…私」

莉緒は俯いていて、その表情は見えない。でも怒っているのは、顔を見なくても伝わってきた。

これまで肝心なところで向き合わずに逃げてきたことを、お見通しに違いない。

「ごめん。でも友達は、もうやめたい。彼氏になりたいんだ」

「…そうなの?」

一世一代の告白に、莉緒はついに顔を上げた。口元は怒っているのに、瞳は涙でぬれていた。

そして小さく品のいいショルダーバッグから、スマホを出すと、何かを打ち込んでいる。

―まさか断るのが気まずいからって、このタイミングで誰かにメール!?

動揺した誠司に、ぐいっとスマホ画面を見せる莉緒。

そこにあったのは、見覚えのある、オリンピックチケットの当選通知。しかも…開会式が2枚だ。

「誠司が待たせるから。これ以上1日も待てないと思って、一番はやく行ける開会式にした」

赤くなった莉緒の瞳の淵から、また、涙がこぼれる。

夏の夜風にのって、どこからか楽しそうな若者の声が聞こえてきた。

ようやくたどり着いた始まりの夜、二人はまるで祝福のようなその声を聴きながら、いつまでも抱き合った。


▶他にも:オンラインで何かをやらかした女。盛り上がったデートの後、男が冷たくなったワケ

▶NEXT:7月1日 水曜更新予定
後悔しても、二度と時間は戻らない。大切なひとを失った男の、せつない夏の思い出。

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※本記事に掲載されている価格は、原則として消費税抜きの表示であり、記事配信時点でのものです。

この記事へのコメント

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No Name
おー7年越しの恋の成就か、いいね😊おめでとう。
こういうの、何か好き☺️✨
2020/06/24 05:2299+返信2件
No Name
朝からキュンキュンしちゃった
次話も楽しみ♡
2020/06/24 05:3699+
No Name
なんかイイ!むねきゅん
2020/06/24 05:5397
もっと見る ( 32 件 )

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